「…たとえば、」
シーツに埋もれて味わう穏やかな倦怠感と、それを包み込む自分以外の温もりは何物にも代え難い。ひと月ぶりのそれらに浸りながら微睡んでいると、耳を寄せていた肌がふと囁き声に低く震えた。
「俺が、ここから出ていくなって言ったら」
ぼくらの距離の測り方 ───After episode
微かに身じろぎして顔を上げると、義丸はこちらを見てはいなかった。どこか虚空を眺めながら、独り言のように呟きに似せた問いを発する。
「大学卒業しても、とかじゃなく、学校とかバイトとかそんなんどうでもいいから、外との繋がり全部断ち切ってずっとずっと俺だけを見てるような、そんな意味で」
内容的にはどう考えても非現実的、しかしそれを語る彼の口調は、冗談のようでいながら本気にも取れるような、掴みどころのないトーンだった。
表情は変えない間切の心拍数が、密かに早鐘を打った。
「…『俺に出来ることなら』、って言ったでしょう」
「…そうだな」
囁くような言葉に頷いたその声音も、やはりまた抽象的で。僅かに体を起こして、間切は義丸の表情に視線を向けた。
「……本気で言ってますか」
碧眼と、鳶色の瞳が交錯する。
「言って、たら、」
「バカ何言ってんの」
こちらを見つめる間切の視線を警戒と受け取ったのか、彼の空気は途端に分かりやすい明るさを纏う。青年が体を起こしたことで離れた距離を手を伸ばして零に戻し、義丸は微笑を含んだ声音で呟いた。
「そんなんで独占しても、きっと嬉しくないって」
抱き寄せられたために、いま義丸の表情は間切からは見えない。しかしその穏やかな声は、嘘や取り繕っている風には聞こえなかった。
また、なだらかな拍動が伝わってくる。
「友達と笑ってるマギも、鬼さんたちに撫でられてるマギも、バイトで接客してるマギも、それがいまのマギを作ってるから。ぶっちゃけ妬けるけど」
彼が最後の言葉を呟いたときだけ、聞こえてくる鼓動が僅かに早くなった。ほんの少し目を見開いて、限られた視界の中に視線をさまよわせる。
「…初めて、妬けるとか言いましたね」
そう、初めてだった。彼がそうやって自分への執着を口にすることは、これまでにほとんど無かったのだから。
「なんかさ、今までは、そういうこと言ったら間切が俺に気ぃ遣って自由に動けなくなるかなって思って、言わない方がいいかなって…いや駄目だなお前のせいにしてるこの言い方。単に俺が、お前に了見の狭い男だって思われたくなかっただけだ。───でも、今日はわがまま言うって決めたし、本音ぶちまけることにしたの」
かっこわるい大人になるけど許してね。
微かにしかし心から首を振ると、肌を撫でた金髪がこそばゆかったのか義丸は声を立てて笑った。
「まあそういうことで、閉じ込めたらマギがマギでなくなっちまうから」
「………」
何も言わず胸に顔を埋めたまま、義丸には見えないことを知っていて目を伏せた。案の定気付くはずもなく、彼は間切をその腕でくるみ込んだまま言葉を続ける。
「でも大学卒業してもうちにいてくれたらなってのは本当。お前が就職しても一緒に暮らしてたい。あと三年あるから夢とか変わるかもしれないけど、もし就職先が兵庫グループじゃないとこになっても、同じ」
そりゃ強制は出来ないけど、と付け足して、義丸が微かに息をついた。
その言葉に、唇を噛む。
「…逃げ道を、ください」
───どうしたらこの人の思い違いを正せるんだろう。
「え? …ん、だから、『強制は出来ない』って───」
「そうじゃなくて、」
小さな間切の言葉をやわらかな拒絶と受け取ったらしい義丸がふと浮かべた、どこか諦めたような苦笑。その表情を見て、胸中に燻っていた何かが抑え切れなくなる。
唐突に体を起こして、間切はまるで押し倒すかのような体勢で義丸を見下ろした。急な行為に微かな驚きを貼り付けて、鳶色の瞳が若い碧眼を見上げる。
「俺に逃げ道を下さい。遠慮なんかしないで、『ここにいろ』って、強制でいいから傍にいろって言って下さい」
自己中心的でいい、ちょっとくらい心が狭くたって構わない、もっと嫉妬や執着をあけすけに見せてほしいんだ。
地位も見た目も内面も、人が羨む全てを持っているのに、どうしてそんなに俺にだけ怯えるの。
「そしたら、俺は、それだけで、それを免罪符にして、…あんたの傍にいるしか出来なくなるんだから」
あなたがよそ見しないことはとっくに知ってる、だから俺のよそ見を(してないけどしないけどする余裕なんてないけれど、)お願いだから許さないで。
俺は狡くてわがままだ。
だって俺は、人間だから。
汚いところもいっぱいある、見せたくないところも抱えてる。
あなたもきっとそうでしょう、だってあなたも人間だから。
少しでいいから見せてほしい、駄目なあなたを俺に許して。
完璧なんていらないよ、何をさらけ出しても愛してる。
醜い部分も教えてほしい、そうしたら俺は安心出来るから。
綺麗過ぎて追い付かない、いつになっても隣に立てない。
世界の違いを思い知らされて、打ちのめされても諦められない。
(せめてもっとわがままを言って、俺にしか叶えられないあなたの願いを)
美しいあなたが見せてくれた平凡な俺への執着は、何よりもただ求めていたものだった。
いつの間にか微かに震えていたらしい肩に、ゆっくりと手が伸ばされる。込められた力に逆らわず上体を倒すと、首筋からこぼれ落ちた金糸が彼の頬を彩った。
「…狡いな、お前」
至近距離で動く唇から零れた言葉が胸を抉る。自分でも分かってはいたけれど、それを改めて、しかも義丸から言われるのはやはり堪えた。
「でも、」
「───っ!?」
急に視界が反転し、後頭部に柔らかい枕の感触が押し付けられる。
「こうやってお前に言ってもらって、それでものすごい安心して、しかもそれに乗らせてもらおうと思った俺の方が、何万倍も狡い」
先ほどまでとは逆に押し倒される側になってまだ口を開けないでいる間切に覆い被さり、焦点が合わなくなるぎりぎりの距離で義丸が囁いた。
「どこにも行くな、間切。嫌って言っても、もう許さねえよ」
「……っ、ぁ」
何かを答える前に、普段に無い荒々しさでその口は塞がれる。解かれた長い鳶色の髪に指を絡めてそれを受け入れながら、間切はそっと目を伏せた。
(───それでも、)
それでもあなたは、俺が嫌だと言えばその時には容易く手を離すんだろう。『冗談だったよ、気にするな』と囁いて、いま垣間見せてくれた執着も想いも寂しさも全てを、無かったことのように振る舞うんだろう。
それはあなたの限りない優しさなのに、自分に自信が持てない俺は、許されることにまた怯えるんだ。
───ああむしろ本物の鎖で縛り付けてくれるなら、
「(俺はきっと、いいや絶対に、)」
喜んでそれに縋りつくのに。
…あれなんか薄暗い終わり方に…
えーとこれ単品でも読めますが、オフで出してるコピー本【ぼくらの距離の測り方】の翌日のイメージです。
良かったらそちらも合わせてご覧頂けるとちょっとは意味分かるかなーと…(宣伝!)
私のくせに全く動きのない話になりました。
義兄は大人だから、嫉妬とか表に出してマギを縛っちゃいけないと思ってる。だからすごく寛容。
でも間切はそんな寛容過ぎる義兄の態度に不安になってしまう時がある。最初の頃は縛られ過ぎるのも考えもんなんだろうなとか思ってたけど、許され過ぎて怖いパターン。求められてないような気分。
途中の台詞、「…『俺に出来ることなら』、って言ったでしょう」ってところは、義兄は「…『俺に出来ることなら』、って言ったでしょう(だから無理に決まってます)」と捉えて、間切もそれを予想してそう捉えられるように言ったけど、内心は「…『俺に出来ることなら』、って言ったでしょう(だからそんなの容易いことなんだけれど)」だった。わかりにくくてすいません
なんかこの間切すごいヤンデレっぽい…
いや絶対そのうちちゃんと分かり合うけどね!!