妖怪奇譚其之参  妖狐 仙蔵



「ひとつ、日照りに炙られて」

 御山(みやま)の峰の獣道、人の織りたる白が()る。

「ふたつ、降らざる雨を乞い」

 か細い脚に足袋を履き、土に(よご)れてただ歩む。

「みっつ、自ら名乗り出た」

 塗りたる(べに)が紡ぎ出す、覚悟を綴る数え歌。

「―――()()よ、出で来よ、御山の狐。そなたのもとへ嫁ぐため、そなたに全てを捧ぐため、人の娘が参ったぞ」

 高く呼ばわるその声は、御山の葉擦れに溶け消えた。返る木霊も無かろうと、白無垢(しろむく)纏う娘子(むすめご)は、声を限りに繰り返す。

「出で来よ、出で来よ、御山の狐」

 幾たび虚空の塵となり、幾たび大地に吸われたか。
 数える(すべ)も既に無く、それでも娘は繰り返す。

「出で来よ、出で来よ、御山の狐―――」
「人が私を呼ばわるか。恥も知らずに呼ばわるか」

 突如に響いた囁きは、焔を纏い現れた。
 木々の合間に躍るのは、青く静けき狐の火。人には有らぬ白の肌、人とは違う黒の髪。七つの尾を持つその(かお)の、背筋も凍る美しさ。
 冷たき(まなこ)をつと(すが)め、御山の妖狐が佇んだ。

「人よ、御山に何用だ。白無垢だなどと笑わせる、無垢なる白を纏おうが、無垢なる人など居やしまい」

 嘲るように小首を傾げ、狐は娘を()め付ける。されど娘は平然と、鋭い視線を受け止めた。

「そなたが(いと)わば脱ぎ捨てよう。そなたが命ぜば平伏そう。そなたが望まば、捧げよう。私の全てはそなたのものぞ」

 怯まず淀まず言い募る、女の瞳の切実さ。(あやか)し狐は大儀げに、七尾(しちび)を揺らし呟いた。

「―――それで、供物の代償は。自身を狐に差し出す代わり、お前は私に何を請う」

 見抜きながらも現れた、狐に情けは乞えるのか。

「…我が身の代わりに同胞(はらから)を。血肉(ちにく)の代わりに雨水を。()いて()います、…狐様。渇けし村を、潤し給え―――」

 日照りに喘ぐ故郷(ふるさと)を、自身を(にえ)とし救わんと、若き娘は訪れた。
 親も伴侶も子も在らぬ、天涯孤独の身の上を、育てた義父(ちち)(おん)がある。
 ぬくもり知らぬ身一つを、静かに笑って抱き締めた、優しき義母(はは)(おん)がある。
 自分にあるのはこの体、死すまでだけに持てるもの。ならば迷わず捧げよう、愛する者を守るため。

 妖狐は冷めた眼差しで、(ぬか)ずく娘を見下ろした。

「そんなことかと思うていたわ。全く以て些末ごと、よくまあ私を()びやった…厄災(もたら)す猿共が」

 関心無さげに首を振り、瞳を閉じて息を吐く。

「贄など要らぬ、人など知らぬ、その暮らしには関わらぬ。狐は人を狩らぬのに、人は狐を狩るであろう。何ゆえ私に縋るのだ? 差し伸べる手などありはせぬ」
「お待ち下さい、狐様―――」
「それこそお前は(まこと)であれば、御山を穢した咎人(とがびと)だ。罰を受けねばならぬ筈だが、(あた)うことすら(いと)わしい。早う()ね去ね、人の仔よ」

 言葉を無くした娘子に、狐はゆるりと背を向けた。
 青い炎がぽつぽつと、御山の道に湧き出ずる。狐の帰る獣道、妖しの灯りが照らし出す。

「―――なんと、悔しや、口惜(くちお)しや」

 妖狐がまさに去らんとした時、御山が僅かに潤った。
 はてと後ろを振り向けば、草木に浮かびし娘子が、静かに頬を濡らし泣く。

「なんと、悔しや、口惜しや。育ててもろうた恩があり、抱いてもろうた温がある。何も返せぬこの(からだ)、一体なんの価値があろう。どうせであれば初めから、人ではない身に生まれておれば…!」

 娘の嗚咽は密やかに、されど深くに染み渡る。滴る雫が地を湿し、嫁入り衣装を撫で落ちた。
 ぽたりとぽたり、ぽつりやぽつり。
 雨にも似たる泪音(なみだおと)、七尾は耳をそばだてる。
 やがて(まなこ)を細めた(きつ)は、(むせ)ぶ娘に問い掛けた。

「口惜しいのか、娘子よ」
「口惜しい、口惜しい、無力なこの身が口惜しい」
「呪わしいのか、人の仔よ」
「呪わしい、呪わしい、焼け付く日差しが呪わしい」
「泣き続けるか、贄の子よ」
「我が悲しみか、旱魃(かんばつ)か、涙がいつか終わるまで」

 束の間黙した妖しは、そして娘に近付いた。袖を濡らした娘の上に、七尾の影がふと落ちる。

「―――いつか涙が涸れようと、永劫に泣く覚悟はあるか」

 静かな静かな問い掛けに、女子は腫らした目を上げた。

「…それはどういう意味なのか」
「例え悲しみが尽きようと、永久(とわ)に涙す覚悟はあるか」

 答えず狐は問い掛ける。答えと態度と心から、娘の覚悟を見定める。
 赤く滲んだ瞳を上げて、彼女は七尾を見返した。底も見えない妖狐の眼から、視線を離さず言い切った。

「……覚悟をすれば、変わるなら。私の涙で変わるものなら、涙が涸れれば血を流そう」



 笑う、(わら)う、狐がわらう。



「永久の重みも知らないで、ようもほざいた、面白い。…娘や、心が変わったわ」

 希望の色を宿した顔を、はっと起こした白の影。

 狐の笑みは変わらずに、


「御山を穢した人の仔に、相応の罰を与えよう」


 娘の笑みが凍りつく。

 陽炎(かげろう)揺らめき風歪み、刹那に七尾のその先に、青く燃え散る火が出ずる。路無き道を照らし出し、御山の峰に音も無く、狐火の群が列を成す。
 思わず身構え息を呑み、拳を握る娘の前で、何処(いずこ)か高みの(いず)れの神へ、狐が(うた)う、高らかに。

山神(やまがみ)よ。七尾の狐の名に於いて、人の娘に楔を打とう。御山を穢した(あがな)いを、その身を捧げて行おう。―――人の娘よ、さあ足掻け」

 妖狐の言葉に呼応して、連なる炎が舞い踊る。白無垢纏いし人の子を、見る間に包み押し隠す。


 空を引き裂く絶叫が、御山の木々を震わせた。


 青の炎が身を焦がし、苦悶の叫びは天を突く。努々二度とは帰れぬものと、残る未練を振り切って、袖を通した白の絹。音無く燃ゆる狐火は、娘の覚悟も舐め尽くす。
 焔に抱かれ身を(よじ)り、我が身は此処で朽ちるのか。目を射る日差しに降らぬ雨、変わらぬ渇きに喘ぐ父母。彼らを救えず死に往くか、此の山道に果てるのか。
 己を育む彼の村を、救わんがため参り来て、果たして自分は誰がために、今この場所で消えるのだ?

 対価の得られぬ贄になど、(ちり)程すらの価値も無し。


「…あな口惜しや、山神よ…!」


 頬を伝ったひとすじの、よろずの想いの一滴(ひとしずく)



 そして、狐が微笑んだ。



 瞬時に熱が失われ、ふとして娘は目を開ける。青く輝く山道が、その眼前に広がった。

 連なる鬼火のその先に、人に在らざるものが立つ。先とは違う気を纏い、青の途切れるその場所で、人の娘を待ち受ける。




 こん、と静かに狐が()いた。


 (こん)、と狐が。
 来む(こん)、と狐が。


 こん、と静かに狐が()いた。




「これぞ(まこと)の、狐の嫁入り。人の娘よ、さあ、嫁げ。」



 思わず一歩踏み出せば、蒼に染まった装束が、水の如くに棚引いた。付き添うような狐火に、伸ばした腕を(かざ)し見て、透ける景色にふと悟る。
 人に(あら)ざる娘子は、(あや)しの焔を従えて、静々(しづしづ)と空を滑り行く。


 (あやか)(ぎつね)に導かれ、蒼き泣女(なきめ)が生まれ出た。


「お前が嫁ぐは此処ではない、御山の(やしろ)に住まわれる、水神の血に(えにし)を組もう。御山に分け入る人の仔よ、お前は既に人には(あら)ず。償うまでは涙せよ、(とが)(なみだ)(そそ)ぐまで」
「私がそうして(あがの)うたなら、その(あかつき)には何がある」

 目を伏せ微笑(わら)った狐の笑みが、嫁ぐ娘に囁いた。

「お前の涙が(せき)を切るなら、そのとき下界を湿すだろう。注ぐ光に係わらず、紛うことなき雨が降ろう。泣き続けるか水の子よ、(まなこ)()けて落ちるとも」
「泣き続けよう、狐様。(あがな)(ゆる)されその(のち)も、私は(つぐな)い続けよう。蒼空(そら)から(あかし)を降らせるために、涙が涸れれば血を流そう」

 涙し微笑む花嫁を、狐の炎が送り往く。
 彼女の去ったその跡は、濡れた草木が残された。






 晴れていながらはらはらと、輝く空から雨が降る。それはあたかも涙の如く、そして時にはほの赤く。



 いずれの時からその雨は、【狐の嫁入り】とぞ呼ばるる。




 *:*:*




 ぱちぱち

「………サド」
「何か言ったか留三郎」
「すみませんでしたなんでもありません」
「しかしとんでもねえ姉ちゃんだな…並の人間にゃ思えねえ」
「並ではなかろうと思ったからこそ敢えて試した。…強い娘だ」
「その子、今はどうしてるの?」
「『水神に縁を組んだ』と言ったろうが」
「ってことは、…え、何利吉さん結婚したの!?」
「何イィィィ!?」
「アレか、押し掛けさせ女房とかそういうのか!?」
「あれだけ嫁取りとかから逃げてたのに、ここで仙蔵に無理矢理送り込まれるとは…災難な」
「ち が う。…縁を組むと言っても祝言などではない、あくまで水神の血筋に関わるものとしての通過儀礼だ。言わば養子縁組みだな」
「あーそっか、なるほどねー」
「文次郎及び留三郎、お前ら後で覚悟しておけよ」
『すみませんでした』
「じゃあ、今はその子は…」
「幸せそうに泣き暮らしているそうだ。下界に雨を降らせるためにな」
「利吉さんが面倒見てるのか? 確かあの人麓で猫叉拾ってきてて最近はその世話に忙しかったような…」
「名前なんつったっけ?」
「………秀作」
「あーそうそう、小松田秀作! さん!」
「さん付けすんのか?」
「一応俺らよりちょっと年上だし。それに山田先生のとこで修行してたら下位水神の神格持ったらしいからさ」
「野良ダヌキよか位が上になったっつーことか」
「もんじーそれわたしに失礼だろー」
「小平太より上位ならばつまりお前よりも上位ということだ、敬意を払って小松田さんと呼べ」
「まあ上位の割にミスってばっからしいがな」
「でもいい人だよー」
「しかし仙蔵、話戻るけどどうしてその嫁入り娘は日照りの件でお前を頼ってきたんだよ? 普通は雨降らせてほしいならそれこそ利吉さんとことか、もしくは少なくとも天候を操れる天狗の文次郎に行かないか?」
「ああ、留は御山に来るのが少し遅かったからまだよく知らないんだよね」
「渡りガラスだからな」
「うるせえ」
「あのね、僕たちのいるこの御山はさ、『御山』っていう山じゃないんだ」
「んん?」
「神山と呼ばれる様々な山が各地にあるが、この御山はそれら神山と繋がっている。山を治めている神はその神山によってそれぞれ違うが、あの娘は妖狐が棲むと言われる山の稲荷信仰の村の者だった」
「はー、だからお狐さまを探して山に登って、御山まで来ちまったと」
「小平太の話の時の子が住んでたところは、特定の神への信仰はなかったみたいだね。だから山神さまって呼ばわってきて、眷族絡みだったから小平太が行っただけなんだ」
「どっかにある神山とは違って特定の信仰はないが、人がその実を知ることもない。知られざる故に名前も無い、名になど括れるものでもない。故にただその存在を知る者たちは、畏敬を込めてこの場所を、『御山』と呼ぶんだよ」
「…なるほど。んで自分の山を崇める奴らに呼ばれたら出てったりとかすんのか」
「まあ実際のところ、あの娘の村が信仰する妖狐は私ではないのだがな」
「え、そうだったの?」
「私が治める山ならば、そもそも過ぎた日照りなど起こすはずが無かろうが。管理不行き届きだ」
「あーはいはいさいですか」
「つまり仙ちゃんはさ、出てかなきゃいけない責任もないのにわざわざその子に会って話してあげて、自分がやらなくてもいい仕事なのにその子が自分で干魃を癒せるように山田先生に取り次いであげたんだよね!」
「―――っ!!」

 ばっ

「あれ、仙蔵?」
「………顔が酸漿色」
「長次余計なことを言うな!」
「うっわマジだ仙蔵が赤面してるぜオイ!!」
「だはははは、何お前いいことすると恥ずかしいのか!!」
「も、もんじ、留、」
「いいじゃねえか感謝されたってよ、今回の話なら普通に叶えてやっても問題ない件なのにひねくれ者が」
「憎まれ役わざわざ買って出るんだもんな照れ屋さん!!」
「…そろそろやめといた方が…」

 ぷつん。

「………文次郎、留三郎。」
「あ?」
「あーあ、わたし知ーらない…」
「…『後で覚悟しておけ』、と、言ったぞ。…ひねくれ者で照れ屋さんな私がな!!」

 どごーん
 ばごーん

「ちょっ、待て待て待てーっ!!!!」
「やかましいつべこべ言わず歯を食いしばれー!!」
「僕関係ないでしょーっ!!」
「次は貴様が恥を晒せ文次郎ーっ!!」



【続】




 六年妖怪パロ第三段。
 仙蔵様は表立って優しいことするのをあんまり知られたくないタイプだと思っている。
 次は多分天狗の文次郎のお話…かな(未定)少なくとも伊作は最後。
 ドンケツじゃねえ、大トリだ!!(明後日の方向を見つめながら)