妖怪奇譚其之弐  烏天狗 留三郎



遮那(しゃな)、遮那、如何(いかが)した」

 血塗れた刀を拭き清め、動く者無き仏堂に、白き武人が佇んだ。妻と娘に慈悲をくれ、死に装束を(あけ)に染め、男は静かに泣き笑う。

「遮那、遮那、如何した」
「私を遮那と呼ばれるは、既に貴方よりおりませぬ」

 館を囲むは死神と、ただ呪わしき身のさだめ。届かぬ兄への叫びなど、炎の中へ置き去った。

「私が(かしこ)み敬うも、既に貴方よりおりませぬ」

 何処(いずこ)よりから来たる声、空打つ翼のしなる音。幾多の羽音に振り向けば、燃ゆる焔を背に負い、烏天狗(からすてんぐ)が名を呼んだ。

「遮那、遮那、如何した」
「師よ、師よ、わたくしは、」

 鞍馬の山の小天狗が、男の御前へ舞い降りた。腰に履きたる黒太刀は、烏羽色に薄滲み、天狗の面を映し出す。

「師よ、師よ、…わたくしは」
「先の武僧の立ち往生、まことに誠に見事なり。鬼若丸の名に恥じぬ、果ては(いず)れの神となろ」

 友の末期を囁かれ、男の瞳に朱が宿る。()れども火種は熾らずに、珠の涙が火を消した。

「愚かと思うていやりますか。哀れと思うていやりますか。師よ、師よ、わたくしは、然れども倖せだったのです」

 強くも(あや)なるかんばせを、しとどに濡らす粗涙(あらなみだ)鴉面(あめん)に隠した(おもて)から、天狗は静かに声を待つ。

「師よ、師よ、わたくしは、然れども倖せだったのです。未来(さき)を望めぬこの身でも、尽くしてくれる供がいる。果てると知れたこの身にも、契りを交わした友がいる。師よ、師よ、わたくしは、何より倖せだったのです」

 紡ぎ出される言の葉は、哀しく(かな)しく木霊する。涙に暮れる愛弟子に、烏天狗は囁いた。

「遮那よ、輪廻を信ずるか。遮那よ、来世を(のぞ)むのか。願うのならばその御霊、何処へなりとて送り出そ。草にも鳥にも水にでも、木にも空にも神にでも。望みの生を言うてみよ、私がこの手で届けよう」

 男は間も無く旅に出る。二度とは戻らぬ旅に出る。黄泉路の灯りを持つ者は、人に在らざる導き手。
 袈裟を揺らした申し出に、男は幽かに微笑んだ。

「即座にお答え出来る程、今世を悔いてはおりませぬ。…それでも望みが叶うなら、また人の身に生まれたい。疑い感じ怒り想うて、叫び涙し嘲り悩み、騙り信じて語り愛して、喜び悲しみ生きて死する人の身に、また」

 呵呵(かか)と笑った小天狗は、錫杖を突き頷いた。腰に提げたる法螺貝を、しかと叩いて頷いた。

「天晴れ遮那王、よく言うた。(なれ)が望みし転生は、私が確と叶えよう」

 翼を広げ風纏い、最期に響けと高らかに、烏天狗が宣うた。
 衣川(ころもがわ)(たち)に斃れ伏す、つわものどもへ捧ぐが如く。

「九郎の名より導いて、九年(くとせ)ののちに生まれよう。汝が生まれるその日には、汝の御許に(つかまつ)ろ。刀を握るその日には、私がお相手仕ろ」

 深く深くに(こうべ)を垂れて、去り行く師の背を男が送る。やがて面を上げた男は、しばしの間瞑目し、そして静かに刺刀(さすが)を抜いた。



 剣術の腕は比類無き、鞍馬の山の小天狗が、幼き彼の身に惚れ込んだ。かつての稚児は武者となり、手にした刀を振り抜いて、戦乱の時を駆け抜ける。

 時は戦国、文治の五年。
 (あやか)し変化に教わりし、源九郎義経の、人には知られぬ末期なり。




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 ぱちぱち

「へー、じゃあ留はそれで御山に来る時期がわたしたちより遅かったんだねー」
「へー、だから俺達よか登場するのに時間かかったのかー、へー」
「へー、つまり九年も出遅れたのはそういう理由があったのだなー、へーへー」
「…………」
「え、何コレいじめ? 泣いていい?」
「いやいや待ってほら、小平太は純粋にそう思ってるだけだし、長次は何も言ってないし、もんじと仙蔵はあの、留が後から御山に来た理由を納得してくれてるわけで、あの」

 いじいじ

「だってさー、だってさー、教え子だぜ? 愛弟子だぜ? 追い詰められて自害直前なのに、『倖せだった』なんつって笑うんだぜ? そりゃあ九年でも九十年でも九百年でも、生まれ変わるまでくらい見守ってやりたくね?」
「ああああ留ー、留ー、いじけないでー」
「ちっちゃい頃の遮那かわいかったなー、何回すっ転んでもめげずにかかってきてなー、鞍馬山って結構険しいんだけどさー、俺のあと一生懸命着いてきてさー。寺に入ったなら遮那王って言わなきゃ駄目だっつってんのにさー、『牛若、まいる!』とかっつってさー、ふふふ」
「ああああ留ー、留ー、戻ってきてー!!」
「でっかくなっても頑張ってたみたいだけどさー、兄貴が俗物のバカでなー、そのおかげで遮那はなー、遮那はなー、…遮那ー…うっうっ」
「ちょっとみんな、留がなんかおかしいよ? どうしたの?」
「んー、留、酔ってるみたいだね。話しながら相当呑んでた」
「悲運な愛弟子の今生を吹っ切ろうとして話したはいいが、如何せん辛い記憶だったもんで酒に頼った、ってとこだろうな」
「馬鹿な奴だ」
「…うるへー」
「でもその遮那王? 牛若? くんは、ちゃんと三界六道輪廻に送れたの?」
「ああ。鬼若…弁慶っていう、一番信頼してた従者と一緒にな」
「そっか、…よかったね!」
「……おう。」
「しかし留三郎、今の話を聞いていたらお前、実はあの有名な『鞍馬天狗』だったのか?」
「んなワケねえだろうが、大天狗鞍馬山僧正坊って天狗の総元締だぜ。俺会ったことあんぞ、勿論こいつじゃなかったし」
「ああ、まあそいつは…えーと、あのとき俺が鞍馬山にいたのって偶然なんだわ。百年くらいおきにいろんな神山渡ってて、たまたま鞍馬山に居着いてたときに遮那が鞍馬寺に預けられたの」
「ほう」
「んで、こいつは才能ありそうだなーと思って剣術教えてたんだが、そしたら『鞍馬山の天狗に教えられた』ってことで、僧正坊に教わったみたいに言われてるっぽい。実際は俺が師匠なんだけどな」
「えーとつまり、『鞍馬天狗』は二人いたってこと?」
「ああ。ホントの意味での鞍馬天狗は僧正坊だけど、義経の剣の師って意味での鞍馬天狗は俺」
「へぇー…面白いねぇ」
「…何やら詐欺に遭った気分だ。留三郎、慰謝料」
「何の!?」
「えーと、とりあえず小平太と留が話し終わったけど…次誰行く?」
「おいおい、まだやんのかよ?」
「当たり前だろう、自分だけ逃れようなぞ狡いことを考えるなよ文次郎」
「その台詞そっくりそのまま返すぞ言い出しっぺが」
「いやあのだからほら、喧嘩しないで…」



【続】




 六年妖怪パロ第二段。
 食満は子供好きに決まってるべさ!という心意気で突き進んだ結果こんな話に(アレ?)