妖怪奇譚其之壱 化狸 小平太
「山神さまは、おられぬか。山神さまは、おられぬか」
しんしん しんしん 降り続く、真っ白な雪の山道で、一人のわらべが呼ばわった。腕には小さな毛玉を抱え、瞳に大きな雫を湛え、一人のわらべが呼ばわった。
「山神さまは、おられぬか。山神さまは、おられぬか。おらえの狸が起きぬのじゃ」
腕にいだくは豆狸、瞳を開かぬ豆狸。毛皮に積もった雪はただ、溶けることなく衣(となる。
「山神さまは、おられぬか―――」
「山神さまは、降りやせぬ。」
淋(とさびしき声ひとつ、凜と響いた声ひとつ。山道を歩むわらわべは、ふと風花の天を見る。
人には有り得ぬその尻尾(、人より澄んだその眼(。人に似ながら人で無し、人で無くして人を知る。
わらべの前に佇むは、御山(に棲まう化狸。
「山神さまは、降りやせぬ。人の身からは、見えやせぬ。ぬしは幼く穢れない、わたしの姿は分かるかよ」
妖怪変化に怖じもせず、頷きひとつ、わらわべは、胸に抱いた老狸、眼を腫らして差し出した。
「おらえの狸が起きぬのです。夜にもまなこを開けぬのです」
涙に暮れるわらわべに、動かぬ狸を覗き込み、指を鳴らした化狸。
老いたる狢(はその刹那、薄っすら瞳を見開いて、わらべに向けて音に鳴く。
息を呑み込むわらべの手から、静かに毛皮を抱き取りて、妖(し狸は囁いた。
「生命の涯ては皆同じ、ぬしもわたしも此奴(にも、いつかすべからく訪れる。別れを惜しめ、人の仔よ。命を惜しめ、幼子よ。ぬしの看取ったこの生命、わたしがしかと受け取った」
雪を纏った風が吹く。往けと呟く夜が来る。
深まる闇に薄れゆく、御山に棲まう化狸。代わりに赤く出ずるのは、言い伝われる山犬の眼。
「我が同胞(は倖せだ。肉叢(の灯は消えるとて、御霊の灯りは消えはせぬ。ぬしが此奴を忘れぬ限り、此奴の生命は消えやせぬ」
提灯を下げた山犬が、わらわべの手を引いてゆく。優しき童を帰すため、里を目指して雪を踏む。
「ぬしの誠は受け取った、ぬしの心も受け取った。忘れるなかれ、人の仔よ。こくりの縁と祝福を―――」
木霊す声は薄れゆき、狸の声は闇に化け、足跡は雪に埋もれゆく。
白き御山はそしてまた、静寂(を抱いて夢に沈んだ。
*:*:*
ぱちぱち
「…で、最後になんで私を巻き込むんだ小平太」
「えー、だって、三人いてこそ『狐狗狸』だもん。私と長次だけだと『くり』だよ!? くり!! なんか変じゃない!?」
「御山の化狸に『くりの縁と祝福を』とか言われたら、きっと秋が楽しみになるな」
「栗いっぱい採れそうだよね。…あ、そろそろお芋焼けそうだよ」
「変でもなんでも私には関わり無いことだろうが」
「ケチケチしてんじゃねえよ仙蔵、縁くらい結んどいてやれって」
「黙れ赤っ鼻。もとい天愚」
「こりゃれっきとした面だ!! つーか『天愚』ってなんだよ、深山天狗だ俺は!!」
「言い得て妙じゃねえか、天愚ー」
「乙女カラスは黙ってろ!!」
「乙女じゃねえ留だ!! てめえは烏天狗バカにしやがって、天愚にゃその羽団扇(は勿体ねえんだよ!!」
「千歩譲って俺が持たないにしても貴様なんぞに渡すかバカタレ!!」
「もう、二人とも喧嘩しないの。…ほら、お芋が焼け―――」
ぱっちーん
『いっだあぁぁあ!!!!!!』
「あ、栗爆ぜた。…いさっくん、もんじ、留、大丈夫?」
「まったく、三バカ共が。というか伊作は貧乏神のくせに何故自分に不運を呼び込むんだ」
「いや、多分修行が足りないのかな…いだだだ」
「あ、長次帰ってきた! 長次ー、お疲れ様ー!! お芋と栗焼けてるよー!!」
「不本意ながら私の狐火で焼いたわけだし、味わって食えよ」
「まさに通力の無駄遣い…」
「文句があるなら自力で火を熾せ木っ端天狗」
「木っ端じゃねえ烏だ!!」
「よう、お疲れ。小平太のとこに来た人間のガキ送ってきたんだってな」
「………(こく)」
「どうだった、あの子ちゃんと帰れた?」
「そっか、心が御山に未練を残してると、山犬の長次が連れてってくれても家に帰る前に迷うことがあるものね」
「……無事、…里まで、帰した」
「そうか、ならば安心だな」
「あんま御山まで人間に来られても困るしなあ」
「でもあの子、別に邪念はなかったから大丈夫だよ。寿命の近かった老狸をずっと面倒見てくれてたんだ、同族としては感謝しなきゃ」
「………も、」
「ん? なに長次?」
「……あの童も、…お前に、感謝していた」
「―――…そっか」
「………(こく)」
「…そっか、へへ、嬉しいな!」
「ったく、これが齢云千年の御山の化狸とはなぁ。頭の中だけ時間止まってんのか?」
「しょ、初心を忘れないのはいいことじゃないか!」
「物は言いようだな、伊作」
「あ、あはは…」
「ふむ、では折角だ。小平太が話を披露したことだし、誰か続け」
「はぁ? おま、…無茶振りすんなぁ…」
「え、っと…誰行く?」
「うーん、じゃあ―――」
【続】
元ネタは友人のやってらっしゃる六年妖怪パロより。
文次郎→天狗、仙蔵→妖狐、小平太→化狸、長次→山犬、伊作→貧乏神、食満→烏天狗、という設定を使って書かせて頂きました。六部作ってことでまだ続くよ!(とても遠慮したい)
ぶっちゃけルビを振りたいばっかりにサイトへ…