「うわ、ちょっ―――」
「舳兄のバカーっ!!」

 重に支えられて浜に辿り着くなり、水軍館にいた者たちが突撃してきた。




か え る 場 所






 まず真っ先に身軽な網問がすっ飛んできた勢いのままに飛びついてきて、浜辺に座り込んだ舳丸の首根っこにかじりつく。困惑した兄役を濡れた瞳できっと睨みつけ、口早に言葉を紡いだ。

「な、何が…」
「全部見てたよ!! 脚怪我してから舳兄あんまり外出れなく――出なくなったのに、今日に限ってどっか行っちゃって!! 心配だって重が追っかけてったから待ってたけど、…みっ、南の崖からっ、……バカぁーっ!!」

 最初は威勢が良かったものの、みるみるうちにその瞳には涙の粒が膨らむ。結局彼は最後まで言葉を続けられず、舳丸の肩口に泣き伏した。
 どうすることも出来ずに嗚咽する網問の背を撫でていると、潮に焼けた金の髪が息を切らせて駆け寄ってくる。

「間切」
「何、やってんですか、あんたは…っ!」

 彼は舳丸の少し手前で足を止めると、荒い息をつきながら一言呟いて、整った造作を泣き出しそうにくしゃりと歪めた。ざんばらの髪を掻きむしり、目を伏せて毒づく。

「くそっ」
「……すまん」
「っ違います、俺は…俺は、舳兄が、そんなに…―――っ!?」

 零れた謝罪に間切が強く首を振り、何事か言い募ろうとするが、はっと顔を上げた瞬間彼は網問の襟首をひっ掴んで横っ飛びに跳んだ。
 次の瞬間、

『ミヨ兄のバカ――ッ!!』
「ええええちょっ、ふぎゃ」

 明らかに舳丸より年かさであろうどら声が二つ、土煙と共に砂浜を蹴立てて突撃してきた。そのまま二人は舳丸に体当たりをかまして沈めた後、泣き真似をしながらボコり始める。

「全部見てたよっ!!」(どかばき)
「脚怪我してから舳兄あんまり外出なくなったのに!!」(ばきごす)
「…あの、由良の兄ィも疾風の兄ィも、見てるこっちがキツいんで網問の物真似とかやめて下さい全力でキモいです」
「今日に限ってどっか行っちゃって!!」(げしがす)
「うわー超スルー」
「心配だって重が追っかけてったから待ってたけど!! つーか見てたけど!!」(ばこべき)
「南の崖からっ、……こんの大バカヤローがぁーっ!!」(ばこーん)

 間切のツッコミも軽やかに無視して、二人の四功は疾風の怒鳴り声と共に息のあった一発を舳丸の頭に喰らわせた。

「いっ、てぇぇー…っ」
「お前は、ホンっト、バカな!! 大バカな!!!!」
「だいたいお前アレだろうが、職務放棄!! 不法投棄!!」
「俺は粗大ゴミか何かですか!」
「粗大ゴミは自分を捨てたりしねぇだろ、お前はゴミ以下か!? あァ!?」
「っ…!」

 由良四郎の一喝に唇を噛み、赤毛の青年は僅かに俯く。

 そうだ、愚かな行為と知っていた。
 それでも、あの時の自分はただ還りたいと、そう思ったのだ。


「つーかミヨ、おめぇちっとばかし怪我したくれぇで水夫頭降りられるだとかあまつさえ兵庫水軍辞めるだとか思っちゃいねぇだろうな? 脚が動かなかろうがなんだろうが、おめぇにしか出来ねぇ仕事がたぁーくさんあんだよ!!」
「わぁ、疾風の兄ィが舳兄を恐喝してるー」
「そこうっせぇぞ網問!!」
「お前が逃げると上役の俺らに回ってくんだぞ!! 軍事視点からの海底図なんざ舳丸以外に描けるか!! 無理!! ないわ!!」

 舳丸の胸倉を掴んで凄む疾風の肩越しに、由良四郎が大袈裟な身振りで溜め息をつく。いつの間にか側へ来ていた蜉蝣が、眦に涙を溜めて笑う重の頭を誇らしげに撫でていた。



 と、波の音とは違う水音が砂場を割り、次いで濡れた砂を強く蹴る足音が二つ、見る間に近づいてくる。
 最初のものは哨戒に出ていた小舟が浜に着いた音だったと気付いたのは、駆け寄ってきた義丸に力いっぱい左頬を張り飛ばされてからだった。

「…っ!」
「みよ…っ、お前、…どこまで…っ!!」

 普段の彼からは思い浮かばない程の焦燥を滲ませた拳が、舳丸を殴った形で握り締められたまま微かに震えている。紡がれた言葉は中途で途切れ、鳶色の髪の兄役はかぶりを振って、ゆっくりと弟分に手を伸ばした。

「…どこまで、ひとりで、持ってく気だ…?」

 息を呑む。
 今までに泣くのを見たことがなかった彼の頬に、珠の涙がすっと弧を描いた。

「…義兄…」

 涙を堪える若手の水夫らに向かって『泣きたい時には思い切り泣くもんだ』と日頃から言っている義丸だが、今までに彼自身が泣いている姿を見た者はほとんどいなかった。
 髪や衣が濡れて乱れることも気にせずに、義丸は脚の不自由な舳丸を引き寄せ強く抱きしめる。海水で冷たく濡れた小袖に、温かな潮が新たに染み通るのを感じた。

「なァに泣いてんだ義、お前の方が殴られたみたいじゃねえか。ミヨがぽかーんとしてるぞ」
「あ、いや、あの…」
「っだって鬼さん!! こんな、ミヨ、バッカヤロ…ぉぉーうおーう」
「はいよしよし」
「…それは名前呼んでんですか宥めてんですか」
「両方だ」

 同じく哨戒に出ていたらしい鬼蜘蛛丸が、弟分をぎゅうぎゅう抱きしめて離さない義丸の肩越しに苦笑した。

「本当は俺も一発いきたいところだったんだが、俺の分は義のに含めとくことにするさ」
「…すみません」

 義丸に捕捉されたまま、僅かに視線を俯ける。いつの間にか暮れかけた西陽が、浜の影を伸ばし始めていた。

「俺達は海賊だ。動けなくなった奴は切り捨てる、そうでないと全体が動かなくなるからな」
「…はい」
「でもなミヨ、お前は動かないのは脚だけだ。それも今自由にならないだけで、まだ無くしちゃいない」
「………」
「しかもお前には、例え脚を無くしたとしても出来ることがある。お前にしか出来ないことがある」

 鬼蜘蛛丸の言葉が、単なる慰めや励ましではないことは知っていた。役に立たなくなった者を情のみで置いておくことは、彼の言う通り組織全体を危険に晒す。
 それでも上役たちが死に急いだ自分を諫めてくれるのは、本当にまだ自分に出来ることがあるからなのだろう。
 感謝と微かな自嘲に頭を下げる。それを見た鬼蜘蛛丸はしばし逡巡してから、未だ舳丸に張り付いたままの義丸をひっぺがし、頭を垂れている舳丸を軽くはたいた。

「でっ」
「悪い、前言撤回。俺にも一発殴らせろ」
「なん―――」
「ミヨはいろいろ考え過ぎなんだよ」

 何度目かの頭部の痛みに反射的に顔を上げると、義丸が袖で目元を擦りながら呟いた。

「仕事が出来なきゃ水軍には要らない。でも有能だったとしても、皆がそいつを信頼出来なきゃ同じなんだよ。逆も然りだ」
「どっちかだけなら、お前はもうお役御免だ。その脚引きずって海の底だろうがなんだろうが何処にでも行けばいい」
「………」
「だがな舳丸、まだそれは許さねえよ。何故ならお前は有能で、そしてそれだけじゃないからだ」

 鬼蜘蛛丸と義丸の言葉が、交互に胸を突く。
 ようやく見張り台の櫓からまろび出てきた航と東南風が、こちらを見て安堵の声を上げ駆け寄ってきた。舳丸の傍に膝を着いて何か言おうとするも声にならない航の肩を叩き、東南風が小さく『良かった』と呟いて微かに笑む。

「―――みんな、お前のことが好きなんだよ」

 碧の中で掴んだ、青い手を思い出す。


「…よく帰ってきたな、舳丸」


 選び取った、かえる場所。





「おかえり」





 異口同音のその言葉と同時に、荒々しい力とそして たくさんの温もりが、舳丸の身体を包んだ。

「―――…っ、」

 海水に沈められた体温が、伝えられる熱に呼び覚まされる。

「ちょっとちょっと、俺も入れてよ!」
「重はいいでしょ、いっつも舳兄に引っ付いてるんだから」
「こんな時くらいミヨ貸せってんだ」
「こんな時だからこそ俺だって舳兄にくっついてたいですよ!」
「だいたいミヨは俺らを頼らな過ぎだ。お前にとっちゃ俺らは頼りないのかもしれないが、せめて思い詰める前に何か言ってくれたって良いだろう」
「そうだぞミヨ、これから悩んだらまず俺に言ってみろ!」
「ちょっ、義兄に相談するくらいなら俺に言って下さいね舳兄、俺全身全霊で力になりますから!!」
「間切お前それどういうこと!?」
「あんたはなんか胡散臭いんですよ! 下手すると舳兄に手ェ出しそう!! 義丸ダメ、絶対!!」
「ヒデェ!! いじめカッコ悪い!! 間切カッコ悪い!!」
「お前ら幾つだ!!」

 騒がしい仲間たちにもみくちゃにされながら、ようやく自分の体に温かみが戻ってきたことを自覚する。
 蘇ったその熱は、彼らがくれた生の証だった。

 輪の中に入ろうとして疾風にからかわれていた重が、何かを言おうとしてふと視線を上げた。

「―――わあ、」

 皆に抱きつかれて身動き出来ない舳丸以外の者が釣られて水平線を追い、その眼に鮮やかな夕焼けが飛び込んでくる。美しくはあるが見慣れたそれに何を感嘆するのかと首を傾げた彼らは、続いた重の言葉に相好を崩した。




「海が舳兄の色だ」




 はっと身を捩り、背後に広がる海へと視線を向ける。つい先程まで蒼く碧く広がっていた空と海が、その美しさは変わらぬままに、黄昏の太陽に焼かれて朱く紅く染まっていた。

「重お前なーにくせぇこと言ってんだよ」
「いや、だって今思いっきりそう思ったんですもん! 海が舳兄色だって!」
「そんなこと言ったら普段の海って重色じゃん」
「…俺そんな青い?」
「あーもうケツから何から全部青い」
「言ってることも青いしな」
「あうう」
「―――まあ、つまりはだ」
「うわっ、ちょっ、何するんですか!」

 蜉蝣が呻いた重の腕を取ってぐっと引き寄せると、慣性に抗えず、若者は舳丸の傍へと膝を着いた。彼がぱっと振り返って口を尖らせると、鳶色の髪の兄役がくつくつと笑う。

「確かになァ」
「え?」

 波打ち際に、暮れ方の海と称された青年と、白昼の海と云われた青年が顔を見合わせた。

「海は青いだけでも赤いだけでも駄目だ。両方あって初めて、俺らが漕ぎ出せる世界になる」
「…お前らホント、海みてぇだよ」

 西日に照らされた重の瞳は、それでもなお青を失わない。
 真昼の海の中ですら、舳丸の瞳は赤を保ち続ける。




「俺らの海を青いだけにすんじゃねえぞ、舳丸」









 あかい世界で、青がわらった。









「…はい」


 無意識に声が零れる。


「―――はい、っはい…はいっ…!!」


 答え、頷き、応え、繰り返す。震える肩を抑えながらどうにか手のひらを持ち上げて、両手で強く顔を覆った。
 庇いきれない水滴が、指の隙間から次々と滴り落ちる。



 瞼の裏に、焼き付いている。
 夕焼けの中ですら青を無くさなかった愛し子と、そしてその青い瞳に映り込んだ、ただ鮮烈に赤い自らの姿が。



「ああああ義兄が舳兄泣かしたあぁぁ!!」
「ちょっ待っミヨおまっ、ええぇぇ!?」
「だっからアンタは信用出来ないんですよー!! さっきも舳兄ぶん殴りやがって、もっと若手を大事にして下さい!!」
「大事にしようとしたら泣かれた場合どうすりゃいいのよ!? ていうか間切お前はもっと兄役を大事にしろ!!」
「義兄のこと大事にしてて敬ってて大好きだからこそ俺は敢えて苦言を呈するんです!!」
「嘘こけエェェ!!」

 義丸と間切が漫才のような押し問答をしているのを眺める他の面々の笑い声が、黄昏時の浜辺に響く。
 それを見て隣で苦笑していた重が、ふと舳丸の耳元に口を寄せてきた。

「…俺は、夕方とか夜明け頃の赤い海、大好きだよ」

 濡れた眼差しで彼の瞳を見やると、海のように青いその若者は口元に添えた手を下ろし、―――ほんの僅かに泣きそうな顔で、微笑んだ。




「だから舳兄も、…青い海を、好きでいてね。」







 もうすぐ日が落ちて、夜が来るだろう。

 全てが闇に閉ざされた中で、海は眠りに就くだろう。

 そしてまた明くる日には、日の出と共に目覚めた赤い水面が、やがて青い海原へとかえるだろう。







 やさしいこ。




 赤い自分のかえる場所は、確かに此処であったのだ。












 前作【あおい世界】の後書きで言っていたミヨもみくちゃ話を書いてみました(身も蓋もねぇ)
 おまけの小話のつもりだったんですが予想外に長く…まとめる文章力の無さが露呈された感じで哀れ。

 ていうか書いててうちの義兄と間切のキャラが明らかにおかしいことに気付いた。他サイトさん覗いても絶対こんな義兄とか間切いねぇよ…!! うちの義兄は見た目で遊び人とか思われても実は真面目かつお茶目な人です。
 間切はまだキャラが不安定ですが、世話焼きオカン気質なのは確実。まあシリアスな話で目上にこんな態度取ったらブッ殺されるのが当たり前ですが、ギャグやほのぼのなら華麗なツッコミを見せてくれると思われ。作中の義兄大好き発言は冗談のように聞こえますが、心の底ではちゃんと本気で慕ってます。うちの水軍で次期鈎役はこの子。
 …下手するとそのうちマギ義とか言い出しそうな自分が恐い(ぼそ)明らかに同志いないッスよ…!!

 あ、お頭がいないのは別に忘れたとかそういうわけではなくて、直々に忍術学園まで新野先生を呼びに出向いているからです。きっと今頃アニメのあの声で涙ながらに「どおーぞお願いしますううううう!!!!」とか言って超頭下げてるはず。