こんこん
がちゃ
 
「テッドくん、ちょっといいかな?」
「良くない」
 
ばたん
 
「あー! 閉めないで閉めないで、用事があるんだよ」
「俺には無いし お前の用事なんて俺には関係無い」
「いやだからね、ぼくの用事じゃなくて小間さんの用事なんだよ」
「……何?」
「小間さんが、テッドくんを呼んで来てって」
「……くそっ」
 
がっちゃん
ごん
 
「あだっ」
「……」
「ご、ごめん避けられなくて」
「………。悪い」
「え?」
「…・場所はどこだって聞いたんだ」
「あっ、作戦室だって」
「分かった」
 
 
 

演劇大作戦  第一幕 【エコー】


 時刻は昼下がり。
 根性丸船内、第二甲板奥の作戦室。十代後半やそこらにしてドラゴン軍を率いる若きリーダー・小間は、これから手渡す予定の書類束を整え終わったところで椅子から立ち上がった。軽く肩を回して伸びをし、机仕事に凝り固まった体をほぐす。
 
 先日から始まった、金策のための宿星メンバーによる各地での興行。それが予想以上に上手くいっていることで、ドラゴン軍は今現在島々にひっぱりだこだった。
 となれば当然仕事も増えるわけで、小間も脚本のチェックや役者の配置、公演場所の決定から戦闘組と演劇組のバランスの良いローテーションの振り分けまで様々な仕事をこなしている。今まで格闘していた書類は、次の公演の台本数冊と、それに関する要望や意見、興行を行う場所や日取りをまとめたものだった。
 
 不意に扉を叩く音がして、小間はそちらに視線を送る。
 
「どうぞ」
 
 立ち上がり、用意していた相手のための椅子を引きながら扉の向こうの人物に入室を促す声をかけた。
 さほどの間も置かずに、作戦室の扉が薄く開かれる。その隙間から滑り込むようにして入ってきたのは、先程自分が呼びつけた少年、テッドだった。
 
「あ、ごめんね急に。ここどうぞ」
「……ああ」
 
 にこりと微笑みかけ、椅子を指差して自分もその向かいに座る。しばし間を置いた後、テッドがゆっくりと腰を下ろしたのを見て小間は手元の台本を一部彼に手渡した。
 茶髪の少年は、それをこれ以上無いくらいの半眼で見下ろす。
 
「……何だよこれ」
「台本」
「………」
「次の公演のだよ」
「…なんで俺に渡すんだ」
「君にも出てもらうから」
「………………」
 
 半眼に眉間のしわを加えて嫌な顔をするテッドを気にしていないかのように、小間は細かい説明を始めた。
 
「いきなりで悪いな、とは思ったんだけどね。最近、僕達の公演が結構群島諸国で人気を集めてきてるんだ。だから、近いうちにかなり本格的な興行を打つようになるだろうし、早いうちに君にも舞台デビューしてもらおうと思って」
「あのな、なんで俺が舞台に出なきゃいけないんだよ」
「どうせローテーション方式取ってるんだから、遅かれ早かれ出番は回ってきたんだよ? でも、君はあまり目立ちたくないらしいし。だから、お客が少ないうちに舞台に慣れてもらおうと思ったんだ。あとあと大きな舞台を踏むことにもなるだろうし、そんな大勢の前に出るのが初舞台なんて慣れてないわ緊張してるわですごく目立つかなって」
「……」
「ま、なんでって聞かれたから言うけど。結局のところ、『働かざるもの食うべからず』ってやつ? うちには余裕が無いからこそ演劇なんかやってるんだし。よく言ったもんだね」
 
 笑顔と共に吐き出された小間の言葉ににじみ出る黒さに微かな恐怖を抱きながらも、テッドは半眼に眉間のしわ、プラス仏頂面という不機嫌極まりない表情でぼそりと問うてみる。
 
「戦闘組に多く出るから演劇組には組み込まないでくれ、ってのは駄目なのか?」
「……。あのさ」
 
 その言葉に、小間は表情に完璧な笑顔を貼り付けたままにこやかに応じた。
 
「君は、【ラプンツェル】の幻術で作っためちゃくちゃ高い塔を必死に登りきった王子役のケネスや【ウィリアム・テル】で頭に矢が刺さりつつも笑顔で成功したように見せかけた息子役のナレオ、【人魚姫】でリハーサルと称し全船員プラス自分の部下の前で姫役を演じさせられたヘルムートや他の皆を見ていて、その上で自分は舞台を逃れたいと。そう言うのかい?」
 
 口調は穏やかでありながら内容は遠まわしな脅迫、そんな小間の流れるような言葉を聞きながら、テッドはただ机に突っ伏すことしか出来なかった。脳内では、今名前を挙げられたメンバーの舞台上での姿がちらついている。
 
 演劇だからラプンツェルの塔も低いのかと思いきや、ウォーロック考案の幻術で果てしなく高い塔が舞台上に再現され、人間の髪を模した頼りないロープを伝い汗を拭おうにも拭えない状況でひたすら塔を登りつづけるケネス。
 あまり真面目に参加していなかった父役のロウハクの放った矢を、頭上のりんごではなく左こめかみを掠るように受けながらも流れた血は観客に見えぬと壁の矢を引っこ抜き、りんごを手にして『お父さん、信じてたよ!』と狼狽するロウハクに笑顔で駆け寄ったナレオ。
 生き残ったイルヤ島民のために作られたハッピーエンド版人魚姫では、小間に『償う気があるのなら』と良心に訴えかけられほとんど否応無しに姫役にさせられて、クールーク将校時代の部下の前で恋する人魚の役を必死に演じつつ『これしきの屈辱…これしきの…これしき…』と自己暗示しながら涙していたヘルムート。
 
 彼等を思うと、自分だけ逃れるのはあまりに卑怯かと思う傍ら自分もあんなことをさせられるのは勘弁願いたいと頭を抱えたくもなる。
 ちらりと顔を上げると、にこやかに微笑む小間が見つめ返してきた。再度テッドは机に突っ伏す。
 
 打開策は、恐らく無いだろう。いっそのこと軍を抜けようかとすら考えたが、『力を貸す』と一度言った手前それも後ろめたい。
 色々な意味でしばらく葛藤したのち、テッドは観念して顔を上げた。目の前にある台本を深い深い溜め息と共に手に取り、小間を見据えて口を開く。
 
「……分かった。やる」
「よく言ってくれたね、嬉しいよ」
「どうせここで頷かなかったら実力行使とかリーダー命令とか言うんだろ?」
「うん」
「………」
「まあ、僕が最後に言ったのは感情論だから。ぶっちゃけ働かざるものどうこうとか関係無いし」
「…………」
「でもほんとに、OKして良かったと思うよ。君だけ逃れたりしたら、多分今言ったメンバーに半殺しにされるね」
 
 うそ臭い笑みを消して、今度こそ本当に顔を綻ばせて手元の書類を開きながら小間の言った内容に、テッドの背筋を汗が伝う。無愛想なテッドの陰口を叩いたりするような人物たちではないが、それとこれとは話が別だ。ついでに言えば、こういうことは実力がどうというより迫力で勝敗が決まる。それぞれの役を必死に演じきった彼ら、その怒りを退けるのは不可能に近いだろう。
 
 これから待ち受ける自分の運命に同情しながらも、テッドは手渡された台本を開く。そこには、役の名前と舞台背景の配置図、そして台詞と行動の指示等が示されていた。



「まだキャストは決まってないのか?」
「うん。それでね、ちょっと考えたんだけど」
 
 ふとテッドが口にした疑問に、小間が台本を指差して言う。
 
「これ、今ぱっと読める?」
「ああ」
「そしたら、どの役をやるか決めていいから」
「……何?」
 
 リーダーの言葉に、眉根を寄せて彼を見遣る。すると小間は、指差す対象を台本からそれを持つテッドの右手に変え、囁いた。
 
「君が目立ちたくない理由は、これだろう? だから、君が役を選ぶといい。出番の少ない役とかでもなんでも、自分にとって一番都合の良い役をね。本当はこんなの贔屓みたいだからいけないんだけど、やっぱり真の紋章の事情は特別だし」
「……。そこまでするくらいなら、別に俺が出なくてもいいんじゃないのか」
「うーん…」
 
 小間はそこで指を引っ込め、声をひそめて苦笑する。
 
「まあ、本当言うとそうなんだけど。…ここだけの話、君に不満を持つやつも、いるにはいるって知ってるよね?」
「……ああ」
 
 実質、その通りである。宿星以外で込み入った事情を知らない一般メンバーやクルーたちには、戦闘のときにだけ出てきてそれ以外は個室に閉じこもり、たまに声をかけても無視か無愛想な返事しか返さず、小間やリノにも特別扱いされることがあるテッドを快く思わない者もいた。そんなことはテッド自身も知っていたし、当然だと割り切っていたが、やはり改めて他者の口から聞くと少しは辛いものがある。
 
「それで、上の方では君を出さない方向でもいいかって進めてたんだけどね。そういう一般乗組員から、意見が来て。自分たちが恥かいてるのに、また君だけ特別扱いはずるい、って」
「……っ…」
「あのままだと船員がストライキ起こして興行どころか軍として機能しなくなることも有り得たから、やっぱり君に出てもらうことにしたんだよ。さっきのは建前で、こっちが本当の理由。まあさっきのも建前とはいえ若干本音も入ってたけどね」
 
 テッドは小間の話にじっと聞き入っていた。言葉が途切れると、伏目がちに微かに頷いて呟く。
 
「……迷惑をかけてるな」
「こっちには迷惑をかけられてるつもりはないよ。皆、それぞれ事情があってこの船に乗ってるんだから」
「……・」
「ごめんね」
「…お前が謝ることは無いだろ」
 
 ぶっきらぼうに言って、台本に目を落とす。それに伴って、室内にしばしの沈黙が満ちた。
 
 
 
***
 
 
 
「……決めた」
「ほんと?」
 
 台本を読み終えて黙考していたテッドが口を開き、静寂を破る。何とはなしに書類の字面を辿っていた小間は、その声に反応して顔を上げた。
 
「でもその前に一つ、聞いておく」
「何?」
「……衣装や小物なんかは、どれだけ細かくやるんだ?」
「フィルさんがいちいち作ってるから、衣装はかなり細かいよ。役に合わせてかつらを被ったり化粧したりもするから完成度は高いしね。あ、かつらとかはリーリンたちが作ってくれてるし、化粧はアメリアさんにお願いしてるけど」
「そうか、なら良い」
 
 一人頷くテッドに、意味が分からず瞬きを繰り返す小間。そんなリーダーに自分の台本を差し出し、テッドは役名の一つを指差して言った。
 
「これがいい」
「……………・えぇっ!?」
 
 
 
***
 
 
 
こんこん
 
「どうぞ」
「失礼します」
 
 控えめなノックの音に返答すると、静かに扉が開く。小間がそちらを見遣ると、開かれた扉の前には高く結い上げた黒髪の背の高い青年が立っていた。後ろの方には蒼い服を纏う茶髪の少年も見える。
 
「ああ、ごめんねアルド───っていうか、その目の上どうしたの?」
「あ、これは……さっきドアでぶつけちゃって」
 
 入ってきたアルドの額、右目の上あたりが青黒い内出血を起こしていた。まとめて後ろで結ってある髪型のせいで、露出された額の痛々しい痕が一層目立つ。
 
「うわー、かなりひどくやったね。自分でやったの?」
「え、あ…はい。うっかりしてて」
「ふーん。へーえ。ほーう」
 
 頬を掻いて笑う彼の後ろで、テッドが一筋汗を垂らしあさっての方向を向いていたが、小間はそちらに冷めた視線を送り、改めてアルドに向き直った。
 
「まあとりあえず、ごめんね突然呼びつけて。テッドもありがとう、二人とも座って」
「いえ、そんな。…でも、伝声管を使わないでわざわざテッドくんが呼びに来たってことは、何かあったんですか?」
 
 微かに声を低め、黒髪の弓使いは心配そうに首を傾げた。
 
 根性丸は広い。大抵集合が掛かる時や用事で呼び出されるときは、船中に巡らされた伝声管によって階ごとに指令の声が響くのだが、一般クルーや皆に知られたくないときや秘密裏に少人数を呼ぶときなどは、人を使って船内を探させるのだ。
 自分を呼ぶのに伝声管ではなくわざわざテッドを寄越したということは、当然ながら何かしら事情があるのだろうとアルドは踏んでいた。
 
「うーん…、そんな声ひそめるほどの重大なことでも無いんだけどね」
「俺にとっては重大だ」
「あー、まあそうだね」
「……?」
 
 わずかに体を緊張させているらしいアルドの姿を見て取って小間は苦笑するが、テッドの低い声にさっと目をそらす。
 訳が分からないでいるアルドを手招いて、小間自身は椅子にかけたまま新たに出した一脚を指した。
 
「まず座って。それから詳しいことを話すから」
「は、はい。…失礼します」
「ほらテッドも」
「…ああ」
 
 机を囲み、皆が席に着いたところで、小間はアルドにも台本を手渡した。両手でその紙束を受け取ってきょとんとしている青年に笑って、ちょいちょいとタイトルのあたりを指差す。
 
「これ、次の公演の台本なんだけど」
「はあ…、僕も出るんですか?」
「うん、頼みたい。まずさらっと流し読みしてくれる?」
 
 頷いてページを繰り始めるアルド。その姿を、俯き加減で上目遣いにちらちらとテッドが見ている。これから話すことなども、色々と気になるところがあるらしい。
 簡単な内容を頭に入れると、青年は顔を上げた。
 
「読んだ?」
「はい、大雑把にですけど」
「どうかな」
「……どう、と言われても」
「話の内容とか。登場人物とかさ、どう思った?」
 
 何気ない小間の問いにアルドはしばし俯き、少しの間を置いてそっと目を伏せ呟くように言った。
 
「…とても、哀しいお話ですね。エコーはニンフで自然の精霊だから、自分の本体が消えない限り死ぬこともありません。永遠に悲しみを胸にこだまを返すなんて、…可哀想に」
「……」
 
 悲しげなアルドの言葉に、テッドの雰囲気が微かに影を纏った。それには気付かず、青年は更に続ける。
 
「僕がナルキッソスだったら…エコーのことを分かってあげたいし、…一緒にいてあげたいと思います。女神にだって、頼みに行くでしょうね」
 
 はっと少年の瞳が見開かれる。
 しかし小間がそれを見とめるか否かのうちに、テッドの眼に浮かんだ何かは深くに沈められていった。
 それを知らず、アルドはふと明るく言う。
 
「うーん、ごめんなさい、それくらいしか言えませんね。大体そんな感じです」
『………はぁ』
 
 小間とテッド、二人のため息が重なった。やはりその理由も分からないアルドは、眼をしばたたくだけである。
 
「……無意識なのかな? 君は」
「は?」
「いやなんでもない」
 
 ぼそりと呟いた小間は、いろいろな意味で埒が明かないので話を本題に移すことにした。
 
「ええとね、そもそもアルドに来てもらったのは、ちょっと特殊な事情があったからなんだけども」
「はい」
「……なんかもうめんどくさいから言っちゃうけど、今回エコー役やるのテッドなんだよね」
「……………・えぇっ!?」
「あ、僕とおんなじ反応」
「だ、だって……」
 
 どうでもよさげな口調でありながら突拍子も無い小間の発言に驚いて、アルドはテッドをまじまじと見る。ぶすっとしながらも何も言わない彼の様子を見れば、恐らく本当なのだろう。
 
「ついでに言えば、テッドが希望したんだよ。僕が押し付けたんじゃない」
「……………………・ええええっ!?」
「何かムカつく驚き方だね、僕がなんでもかんでも誰にでも役を押し付けてるとでも思ってるのかい? んん?」
「いやあのえーと、そんなつもりじゃないんですけど、…そうですか…。いえ、ちょっとびっくりしただけです。テッドくんが自分で選んだっていうのが意外で。ええもう。いやほんとそれだけですって」
 
 小間が底の見えない笑みで顔を近づけてくるのに、無意識で両手を盾にしているのか顔の前で手のひらを振りまくるアルド。
 暗黒の笑顔VS必死の笑顔の対決に、当事者であるテッドが一言、ぼそりと水を差した。
 
「……関係無いところで盛り上がってるとこ悪いけど、俺としては早いとこキャスト決めて終わらせたいんだよな。小間、話の続き」
 
 その言葉に、ふっと両者が離れた。小間は平然としているが、アルドは左胸を抑えてぜーはーと深呼吸している。そんな彼に再度笑顔を向けて、リーダー様は話の続きを再開する。
 
「それじゃ、本題に移るけど」
「さっきので終わりじゃなかったんですか…」
「あれだけだったら君を呼ぶ意味がないだろう? ……そうだね、まず君を呼ぶことになった経緯を話そうか。それを聞けば分かりやすいだろうし」
 
 アルドの返事も聞かないまま、台本を手にして小間は先程のことを語り始めた。
 
 
 
***
 
 
 
「これがいい」
「……………・えぇっ!?」
 
 テッドが指差した役名に仰天して、小間は彼らしからぬ大声をあげた。頭の中を、テッドが役を指し間違えたのだろうとか自分がただ勘違いしているだけなのではないかとか、そんな感じの今起きたことを否定する考えがぐるぐると回っている。
 瞬きと深呼吸を数回繰り返し、小間は気を取り直してテッドに改めて問うた。
 
「えーと、ごめんね。……改めて確認するけど、君は、『どの』役を、やりたいのかな?」
「だからこれだよ」
「言葉で言ってくれる?」
「エコー」
 
 あわよくばナルキッソスと言われることすら望んでいたらしい脳内でその可能性を否定され、小間は自らの頭の上に衝撃音の書き文字が出現したであろうとテッドの表情から想像した。
 
「……なんだその顔は」
「…………正気? この船は確かに変な人がいっぱい乗ってるけど、君までおかしくなっちゃったのかい?」
「どういう意味だそれ。……駄目なら別に良い」
「いや、そうじゃないけど」
 
 小間は台本をテッドに返して椅子に座りなおし、瞬きと深呼吸と咳払いをした。
 
「……僕としてはどうして君がこれを選んだのか、かなりの勢いで知りたいところなんだけど」
「別に、理由も無く選んだりしたわけじゃない」
 
 ぶっきらぼうに呟き、テッドも椅子に座りなおした。少し間を置いた後、俯き加減に弁解とも取れる説明を始める。
 
「……まず俺は、なるたけ目立ちたくない。誰とも関わりたくない。知られたくない。それなのに、お前らは演劇に出ろと言う。だから俺にとって一番都合のいい役っていうのは何かって考えたら、これだと思った」
「……。その理由は?」
「消去法。ナルキッソスだと、美男っていう設定から顔に視線が集中するし声と合わせて覚えられたりするのはまずい。旅人は、自分で何を言うか決めなきゃいけないし、劇の成功がかかってる役なんて俺がやっても失敗するだけだろ。ナレーションは論外、劇の間中観客に顔が見える上に声の誤魔化しもきかない」
「……まあ、言われてみれば確かにそんな気も……」
「それに女役なら、かつらだの化粧だので変装するんだろ。それなら俺だってバレにくい」
「(変装…)まだ何かあるの?」
「……あいつらのことを思い出したら、いっそのこと開き直って自分から女役を希望したほうが救いがあるような気がしたんだ」
「ヘルムートたちのことかい」
「……まあな」
 
 改めて論理的に説明されると、なんだか頷けてくるから不思議だ。まあ、結局のところ彼に選ばせるためにひとりだけ呼び出したのだから、敢えて否定する理由も無いのだが。
 小間は背もたれに寄り掛かり、ふーっと息を吐いた。
 
「ふーん……。ま、じゃあそれでいいんだね?」
「ああ」
「分かった。……主役が決まったから、あとは残りの役を当てなくちゃね。誰か希望ある?」
 
 机の上に転がっていた筆記具でテッドの名を台本と書類に書き付け、本人にもそれを促す。彼の手が動いて紙に軌跡を描くのを見ながらそう問い掛けると、微かに首を傾げたのが分かった。
 それを見て、小間はしばし思考したのちに言う。
 
「じゃあ、そうだなあ……僕の意見を言ってもいいかい? 今ちょっと考えたんだけどさ」
「ああ」
 
 短い了承の声をテッドから受け取り、リーダーはぴっと人差し指を立てた。
 
「アルド」
「……・何?」
 
 テッドの仏頂面が、ほんの少しだけ変化した。伏目がちなその面を見据えていたおかげで見られた表情だが、小間はそれに口許で笑んで補足する。
 
「ていうか、弓使いたち。どう?」
「………・。悪くない」
 
 ふと考え込むテッドの横顔を、薄暗い部屋のランプが照らした。
 人数がもっといるときは照明器具もたくさん持ち込むが、そうでもなければ油の無駄遣いだとたった一つか二つの光源しか部屋を照らすことはない。
 暖色のゆらめきに照らされ、彼は小間が何故今の顔ぶれを提案したかを考えているようだった。
 
「分かった?」
「まあな」
 
 問えば即座に返ってくる返答に満足し、リーダーは細かな補足を口にする。
 
「まず大前提である、『君が目立たない』『顔や名前が知られない』ということを念頭において考えてみると、『敵を欺くにはまず味方から』の考え方になるんだよね。船には奔放な人や開放的な人も結構いるし、例えばだけどエコー役は誰か、なんて観客に聞かれて答えてしまう人だって当然いるだろうから、君がエコーを演るってことは上と指導役、それに裏方とキャスト以外には話さないことと、それプラス知る人には緘口令をしくことを考えたんだ」
「そこまで大げさにしなくても、船の中くらいは……」
 
 テッドがばつの悪そうな顔で口篭もる。それに艦長殿は真面目に首をふり、話を続けた。
 
「いや、どうせ外に隠すなら徹底的にやらないと。……まあ目立たないって意図からして、そもそも目的と矛盾してるんだけどね」
「……」
「そこで今回のキャスティングでは、乱れ打ち攻撃のメンバーにお出まし願おうかと思って。結構口はかたそうだし、君も他のメンバーよりは一緒にいるだろう?」
「───まあ、な」
「だからここで適役を当てはめる、と。……ナルキッソスはアルドかロウハクかに絞るけど、口の固さとか信頼性とか適役度とかで考えると断然アルドなんだよね。ロウハクは【ウィリアム・テル】の時もそうだったけど役者としてのやる気が危ぶまれるから、その点も考慮して一生懸命にやってくれるアルドを。それから、ナレーションは人当たりのいいフレア、旅人はフレデリカに頼む。こっちとしても売れそうな人を役に当てていきたいから、今回の条件下ではこれが最善策だと思うんだけど」
 
 小間の言葉を聞きながら脳内で話に出た人物と役の印象を当てはめて、存外悪くないと驚く。確かに陰口を叩くような輩と舞台に上がり後に散々嗤われるよりは、ある程度知る仲(という程でもないが)である協力攻撃メンバーと共に演じる方が心労も少なくて良いだろう。まあロウハクに関しては、【ウィリアム・テル】の後でダリオにぼこぼこにされていたのでやる気どうこうはそれによるものもあるのだが。しかし、あの過剰にお節介で世話焼きな背の高い森人に関しては、ある可能性が頭の隅を過ぎった。
 しかし背に腹は代えられない。小間の言うように、これが最善の策だろう。テッドは思考から顔を上げ、目の前でこちらを見ているリーダーに視線を合わせた。
 
 たったあれだけの思考時間で、ここまでの深謀遠慮が出来るとは。三人足らずであの霧の船を抜けて導者のところまで来、そして倒す戦闘力、今しがた見せた智謀、軍を束ねるカリスマ性。かつて小間使いをやっていたとは思えぬ程だ。薄々感じてはいたものの、やはりここまでくるには幾多の苦難を乗り越えてきたことが容易に想像できる。
 
 海色の瞳を見てふとそんなことを考えていたテッドは、怪訝そうに呼びかける小間の声に我に返った。
 
「テッド? どうしたんだい、何かまずいかな?」
「あ、いや……」
 
 ふるっと頭を振って、意識を覚醒させる。
 
「いいんじゃないか」
「あ、良かった。それじゃ、早速キャストを呼んで了承してもらわなくちゃね」
 
 小間が笑み、脇に積んであった手を加えていない三冊の台本を指して言う。実質的に宿星たちには拒否権など存在しないため、了承というよりかは説明と台本の配布が主なのだが。
 
「悪いんだけど、アルドを呼びに行ってくれるかい?」
「俺か?」
「君しかいないじゃないか。それに、さっきアルドは君を呼びに来てくれただろう」
「……。他の二人は呼ばないのか」
「何、行ってくれるの?」
「なっ、そこまでは───」
「冗談だよ。そもそもフレアは今日の公演に事務で行ってるし、フレデリカも戦闘組だから二人とも今は船にいないんだ。……でも、『そこまでは』ってことは、アルドは迎えに行ってくれるんだね?」
「…っ!」
「じゃ、よろしくね」
「………」
 
 
 
***
 
 
 
「───とまあ、そんなわけなのさ」
 
 説明を終えて、小間はふっと息を吐いた。脇にある水差しで、乾きかけた舌を少しだけ湿す。
 アルドはじっとその話を聞いていたが、小間の言葉が途切れたのを境に目をしばたたいた。
 
「ちょっ、今の話聞いてたら、……・僕がナルキッソスなんですか!?」
「今の話聞いててそう思わない奴がいたら僕は是非とも会ってみたいね」
「じゃなくて! いやじゃなくてっていうか、……本当に僕なんですか?」
「文句あるかい」
「い、いえ、文句はありませんけど……美男って設定なら、僕はどうかって思」
 
 慌てたように口篭もる青年を変わらない笑顔で見つめ、小間はその言葉を遮って繰り返す。
 
「文句あるかい」
「……いえ、あの」
「文句あるかい」
「………ありません」
「そっか、良かった」
 
 どこか諦めたようなアルドの微笑は、これまでに舞台に上がることを拒んだ者たちが最後に浮かべたのと同じものだった。それを見てテッドは、他に強制されて役につくより 自ら名乗り出たのはやはり精神的に大きな利であったと心中で嘆息する。
 
「じゃ、台本に名前書いてくれるかい?」
「はい……」
 
 先程も書いたが、宿星たちに実質的な拒否権は存在しない。故にキャストを勝手に決めて書き込んだ後、事後承諾という手段で全く問題は無いはずなのだが、小間は敢えて事前に説明をし、その後自らの手で名前を書き込ませるのだ。これによって、役者に『自分はこの役を承諾したのだ』と刷り込むらしい。
 
「これでいいですか?」
「うん。快諾してくれてありがとう」
「? はい…、頑張ります……?」
 
 それに引っかかったアルドもまたおかしな自意識が芽生えてしまったようで、曖昧ながらも肯定の返事を返してしまった。
 小間はそれを聞くと満足そうに笑い、そしてふと思い出したように一言付け加える。
 
「あ、じゃあこれから衣装合わせとかあるから。二人とも行ってらっしゃい」
 
 頑張ってきて、と手を振る小間に、目前にいる二人は目を瞬いた。
 
「これから、だと?」
「今すぐ、ですか?」
「もちろん。本番までの時間なんて一週間も無いんだからね、一刻も早く準備しなきゃ」
「一週間ん!?」
「うん。台本自体は短いし、台詞覚えるのは簡単でしょ? だから、まずは衣装・小物・化粧・その他。場所は装飾部屋。頑張ってきてね」
『………』
「はい、分かったら行く行く」
 
 
 
***
 
 
 
がちゃ
 
「あら、来たね」
 
ぺこり
 
「よ、よろしくお願いします」
「……」
「こちらこそ。衣装担当のフィルです」
「アメリアよ。化粧とか、髪型を任されてる」
「早速ですが、お二人はどの役なんですか?」
「あ、僕はアルド。ナルキッソスだそうです」
「はいはい、ナルキッソスは…」
 
がさがさ
 
「これですね。いやあ、こういう神話の衣装はサイズ合わせが楽で助かります。だからといって手抜きをしているわけじゃありませんがね」
「え、この衣装って……かなり薄くないですか?」
「まあ、基本が一枚布で、それを装飾しますから。これはあくまで最低限ですよ」
「うわー……」
「で、そちらは?」
「エコー」
 
しーん
 
「………はい?」
「エコーだ」
「あんたがエコー? また小間さんも面白い配役をしたもんね」
「事情があるんだ。一般乗組員には話さないでくれ。…これ、小間から」
 
かさかさ
 
「……なるほど、緘口令ですか。分かりました」
「必要最低限以外は話さなきゃいいんでしょ?」
 
ごそごそ
 
「しかし、あなたがエコーとは興味深いですね。違和感が無いつくりを心がけたいもんです。とりあえず、どうぞ」
「……」
「どうしました? ───ああ、それは女の子役の衣装ですからね。やっぱりびっくりしましたか」
「…これ、俺が着るのか…」
「そうなりますね。美しいニンフのイメージを込めて作りました」
「……」
「テ、テッドくん、頑張ろうよ。ほら、僕もアレだし……」
「うーん、見たところ……アルドだっけ? あんたは化粧の必要無いわね。顔立ち綺麗だし、そのまま活かしましょう。でも」
「でも?」
 
びしっ
 
「それ。その額の、なに? 見た目かなりひどそうだけど」
「あー、これはさっきぶつけて……」
「あんたはまずここに来る前に医務室行くべきよ。今行ってきなさいな、その間にこっちの子やっちゃうから」
「は、はい」
 
がちゃ
ばたん
ぱたぱたぱた…
 
「それじゃ、そっち。テッドとか呼ばれてたね。あんたは化粧の必要大有りよ、女の子の役をやるってのは並じゃないんだからね」
「───分かってる」
「ふーん。こないだの人魚役とはえらい違いだね、色々覚悟決めてるわけ?」
「事情がある」
「そう…。ま、頑張んなさい。───まずは衣装合わせして、お化粧はそれから。私は丈とか合わせてる間にあっちでかつら選んでおくから、早く衣装着て」
 
こつこつこつ
 
「………」
 
……・ごそごそ
 
「着替えたらこっちへどうぞ。入ると思いますけど、どうですかね」
 
ごそごそ
 
「───これでいいか?」
「おや、出来ましたか。……そうですね、少し丈が長いかな。ちょっと動かないで下さいね」
 
ちくちく
 
「まず仮縫いしましたけど、リハまでには仕上げておきますから。───もう少し我慢してて下さいね」
 
がさがさ
…ふぁさっ
 
「───うん、これをここで留めて…おや、布の継ぎ足しが必要だな。それから…帯の位置を直して、それに───」
 
ごそごそ
ぱちっ
 
「ここは詰め物を縫いこんでおかないと。…うーん、下がって見ると…」
 
すすっ
 
「やはり右肩あたりは、もう少し草花を模して作ったほうが良いな───」
「………」
 
こつこつこつ
 
「出来たの?」
「あ、大体は。仕上げがリハまでですから、今日のところは仮縫いです」
「そうなんだ。───ねえ、あんたその右手の包帯どうしたの? やけにぎっちり巻いてるけど、怪我じゃ無いね。取れないわけ?」
「………」
「あっ」
 
ぽん
がさがさ
 
「すいません、忘れていました。実はこれ小間さんに頼まれて作ったんですが、はめてみて下さい」
「何なのこれ、手袋?」
「人の手を模して表面を作ってみました。間近ではさすがにバレますけど、舞台上なら素手に見えると思いますがね」
「……」
 
すっ
 
「どうですか?」
「…悪くないな」
「うん、近くでもそれなりに手に見えるわよ」
「それから、この手袋に加えてこのアクセサリーを手首に、こう…」
 
がさがさ
 
「うん、良し。…どうです?」
「すごいわね、不自然さが無いじゃない」
「…こんなものが作れるのか?」
「自慢ですけど、これだけの仕事が出来る職人はそういないと思いますね」
 
ふふん
 
「分ーかったから。───テッド、あんたの事情は聞かないでおくよ。今度は私の番、こっちおいで」
 
こつこつこつ
こつこつこつ
 
「自然に女の子に見えるようなのを選んだんだけど」
「なるべく顔が隠れるのは無いか?」
「役者が顔隠してどうすんの。その事情とやらで、顔を見せたくないわけ?」
「出来ればそうだけど、まず目立ちたくないんだ」
「要はあんただって分からなきゃいいんでしょ? それなら大丈夫だから、ほら」
 
ばさっ
 
「うわっ」
「これで少し整えてやれば……、───あら、悪くないじゃない」
「………」
「ブロンドだと色的に難ありだから、緑がかったプラチナブロンドにしてみたよ。本当は茶色が一番合いそうなんだけど、あんたの髪と同じ色だと連想しちゃうからね」
 
ふるっ
 
「頭が重いな…」
「当然でしょ。ほらこっち向いて、試しに化粧乗せてみるから」
「ぷわっ」
 
ぴちゃっ
ばふばふばふ
きゅっ
 
「───よし。ほら、鏡見てごらん」
「………・!」
「どう?」
「……これなら…俺だって分からなそうだな」
「他に感想無いわけ? 本物の女の子みたいに綺麗になった、とかさすがだ、とか」
「本物の女の子みたいに綺麗になった。さすがだ(棒読み)」
「…あんたね」
 
…ぱたぱたぱた
がちゃ
ばたん
 
「いま戻りました」
「おや、お帰りなさい。───こりゃまた仰々しくやられましたね」
「ぶつけてすぐ来なかったから、しばらく痕が残るかもしれないって言われました…。傷自体はそんなに大したこと無いみたいですけど」
 
こつこつこつ
 
「戦士としては支障無いかもしれないけど、役者としては大有りだね。額にそんな痣つけて、どうやって舞台に上がるの」
「す、すみません……」
「自分でそこまでの痣つくるなんて、どれだけ気を散らしてたの?」
「いや、その……」
 
こつこつこつ
 
「───悪かった」
「………っテ、テッドくん!? ……だよ、ね……? その声からすると、だけど……」
「あんたがやったの? ぶん殴ったりでもしたわけ?」
「……部屋の外にいるのを忘れて、思いっきりドアを開けたら直撃した」
「……あっそ。まあそれは置いといて、これで大丈夫だって分かったでしょ? 今入ってきたアルドが誰だか分からなかったんだから」
「……そう、だな」
「複雑そうな顔してるねえ」
「───別に」
 
ばさっ
 
「さて、ではアルドさんが戻ってきたので衣装合わせをしますよ。どうぞ着て下さい」
「は、はい」
「服のサイズ合わせが終わったらこっちに来て。とりあえず、その髪型は痣が目立ちすぎるから変えてもらうよ」
「分かりました…」
「それからテッド、あんたはもういいよ。いま化粧落とすから、そしたら終わり」
「分かった」
 
こつこつこつ
こつこつこつ
 
「───着替えましたか?」
 
ばさり
 
「はい、……ああなんか違和感だらけです……。髪を下ろすとなおさら」
「まあ、衣装なんてそんなものでしょう。…しかし、改めて見ると似合いますよそれ。違和感を感じてるそうですが、見るぶんにはとても自然です」
「ええ!? そう…ですか?」
「しかもサイズぴったりじゃないですか。直しの必要は無さそうですね」
 
こつこつこつ
 
「……」
「あ、テッドくんお疲れ様」
「───!」
「なに?」
「……っなんでもない」
 
がちゃ
ばたん
 
「テッドくん……?」
 
こつこつこつ
 
「へえ、これまた随分似合ってるじゃないの」
「そうでしょうか……」
「そう思うよ。あの子も驚いてたじゃないか」
「テッドくんが? まさか」
「そう思わないならそれでもいいけどね。私らには時間が無いんだ、早くおいで」
「は、はい」
 
こつこつこつ
こつこつこつ
 
「あんたには化粧の必要が無いし、髪も長いからかつらは無しでいこう。髪はそれなりに長さが無いと、その傷が隠せないからね」
 
ちゃきっ
 
「ええ!? はさみなんか持って……切るんですか!?」
「いえ、髪を切りはしないよ、劇風と役に合わせて結い方を変えるだけ。切るのは髪留めの布だから。…じゃ、やるよ」
「お、お願いします……」
 
にやり
どきどき
 
 
 
***
 
 
 
 リハーサル前日、本番二日前である今日も終わろうとするころ。テッドは夕飯を取ったのち部屋に閉じこもり、ベッドに座ってぽつぽつと台詞を呟いていた。
 彼はこの一週間、演劇の準備期間ということで戦闘組参加を免除されていた。毎日を部屋にこもり、台本に目を落として暗記することで過ごしたかったのだが、残念ながら小間や彼に命令された演技指導組がそれを許すはずもなく。連日のように部屋を変え場所を変え、演劇組メンバーは否応なしに演技のいろはを叩き込まれたのだった。ちなみにテッドは女役なので、指導担当はくノ一の二人である。
 それだけでも精神的に憔悴するのに、加えてアルドが『一緒に練習しよう』だの『台本の読み合わせしよう』だのと一層足を運んでくるようになったのだ。配役のときに小間がアルドの名を出したとき、テッドの頭の中を過ぎった可能性はまさにこれであった。
 そして今も、
 
こんこん
 
「テッドくん、ちょっといいかな?」
「良くない」
 
 顔を出そうともせずに即答して台本に顔を埋める。ドアの外で慌てたような声がしたが、テッドはそれに反応するのを避けた。
 が。
 
「テッド、ちょっといいかい?」
「───小間!?」
 
 続けて掛けられた声に眉を寄せて顔を上げる。返事も待たずに部屋のドアが開けられ、そこには真剣な顔をした小間と申し訳なさそうな表情のアルド、そして呆れたように肩を竦めるフレアとフレデリカがいた。アルドは相変わらず額に痛々しい痣を残したままである。
 
「入ってもいいかい? ていうか入らせてもらうよ」
 
 再度返事も聞かずにずかずかと部屋に入ってくるリーダー。後ろにいる三人にも入るよう手で促し、彼はテッドの前に立った。
 不機嫌度マックスで座ったまま上目遣いに睨んでくるテッドに臆しもせず、後続の三人が入室してフレアが扉を閉めると、小間は真剣な顔で爆弾発言を放った。
 
「───明日が、本番になった」
 
 沈黙。
 
「……え?」
「だから、公演が明日になった。リハは中止、演技はぶっつけ本番」
「……何だと!?」
「ど、どうしてなの!?」
「明日だなど、…前日に予定を繰り上げるとは、あまりに唐突なのでは?」
「リハーサル無しでやるんですか…自信無いなあ…」
 
 瞬間、戸惑うメンバーのざわめきがせまい部屋に広がった。リーダーはそんな面々を見渡してから、嘆息して説明する。
 
「……公演は、本当は明後日にナ・ナルで行うはずだったから、今日公演場所のチェックに行って来たんだけど。その最中に、急に島長が予定を繰り上げてもらいたいって言ってきたんだ」
「なんでまた急に…」
 
 フレアが眉を寄せて呟くと、小間が皮肉げな笑みを浮かべてそれに答える。
 
「なんでも群島の外から来た強い戦士がいて、その人が村人になることが決まったから明後日歓迎パーティーするんだって」
「…あんのオヤジ…」
「確かに、そういうことやりそうですけど…」
「ああ、テッドとアルドは会ったことあるんだっけね」
 
 以前群島諸国が纏まっていなかった時期、小間は島々を巡って協力を求め、打倒クールークを呼び掛けた。無論ナ・ナルもその対象だったのだが、その際にテッドとアルドもパーティーメンバーに組み込まれていたのだ。今でこそドラゴン軍に協力する姿勢を見せ、息子であるアクセルを根性丸に乗せたりもしているが、最初に小間たちが協力要請に訪れたときはえらく腹の立つ不遜な態度を取り、宿を貸すと言って牢獄に入れられたり、エルフから盗みを働かされたり、挙句今度はエルフの牢獄に閉じ込められたりと散々だった。やはりテッドはもとより他人に否定的な感情を抱きにくいアルドさえも、あまり良い印象を受けてはいない。
 じっと話を聞いていたフレデリカが、顔をしかめて言った。
 
「そんな予定変更は受け入れられないと、公演を拒否することは出来ないのか?」
「残念ながら、こっちからのキャンセルはしないことにしてるんだ」
「何故?」
「公演を始めた根本的な考えを忘れたかい? 僕たちは群島諸国の島民たちに余裕を見せて、尚且つ新しい志願兵を募るため、そして何よりお金が欲しくてやってるんだよ。公演日の変更くらいでこっちからキャンセルなんてしたら、印象が悪くなるじゃないか。まあ今の兵力でも恐らくなんとかなるから印象は置いておくとしても、お金が問題だよ。今の世の中、正義は金が無いとやってけないんだ。まずお金、金金金さ」
 
 妙にやさぐれた科白を吐き捨てるように言う小間を見て、リーダーに就任した時期の純粋な彼を知る者は密かに涙した。
 世間の厳しさを知り図太くならざるを得なかったリーダーは、暗い笑みを浮かべて言った科白からころりと調子を変えると、部屋にいるメンバーの背を軽く叩き解散を告げる。
 
「と、いうわけで明日公演だから。衣装とかの担当は、今晩で最後の仕上げを終わらせる予定だし、皆はそれを無駄にしないためにも早く休んでね」
 
 軽く手を振ると、小間は部屋を出て行った。
 何とはなしに訪れた沈黙の中、残された役者たちがちらりと互いに目配せすると、途端 異口同音に嘆きの声が漏れる。
 
「勘っ弁してよね、ナ・ナル島長……」
 
 まずフレアが腰に手を当て、大仰に溜め息を吐いた。隣に立つフレデリカが微苦笑してそちらを見遣る。
 
「お父さんが島の統治者だから、同じ統治者同士たまに話し合いとかしてたのよ。私もそういう関係で会ったことあるんだけど、やっぱいけ好かないオヤジよねー。渋いつもりなのかしら、あの髪型とヒゲ」
 
 何故かどことなく小間に似た調子で、さりげなく暴言を吐くオベル王女。
 
「ま、まあ決まってしまったことは仕方がありませんよ。……あの、リハーサルが無いんですから、いま一回くらいやっておきませんか? 皆で台詞を通し読みするだけでも違うかなって思うんですけど」
 
 アルドがとりなすように、三人に向かって提案する。瞬間 テッドは物凄く嫌そうな顔をしたが、女性二人は納得したように頷きあった。
 
「そうだな。確かにそのほうが、失敗の確率も少なくなるだろうね」
「今更場所を移動するのもまずいわよね。ここでやりたいけど、いい?」
 
 フレアの言葉に、眉間に皺を寄せて伺うようにテッドが呟く。
 
「……俺に拒否権は無いんだろ」
「そうなるわね」
「……」
 
 やはりどことなく小間を彷彿とさせる、底の見えないフレアの笑みに深く溜め息を吐くと、テッドは自室での仮リハーサルを許可した。
 
「……終わったらすぐ出てけよ」
 
 
 
***   
 
 
 陽も幾らか昇ったころ、戦闘組と演劇組はそれぞれ活動を開始した。
 
 今週の戦闘組は、キカ・シグルド・ハーヴェイ・ヘルムート。いずれも演劇では客を呼べる人気役者である。ヘルムートなどは最初こそ抵抗したが、【人魚姫】でヒロインをやらされて以来、抵抗が無駄だと悟ったのか開き直ったようだ。元来のルックスに加え、半分やけくその演技にもかかわらず妙に舞台映えする姿が、女性客を更に招く結果となっている。
 四人は装備を整え、ビッキーの転移魔法によりナ・ナルの船着場までテレポートしていった。今日はそこを基点に戦闘を行うことにしたらしい。キカの見ている中、美青年三人は今日も元気に指を振ることだろう。
 
 戦闘組を送り届けたビッキーは、そばで待機していた演劇組に向き直った。役者をはじめ裏方たちが、フル装備で待ち構えている。
 今回は小間も演劇組につくことになっていたので、こちらを向いたビッキーに声掛けた。
 
「じゃあ、頼むよビッキー。ちゃんと君も一緒にね」
「分かりました。いきますよー…」
 
 彼女が杖を振り上げるのを見て、幾人かが胸の前で手を組み必死の表情で祈りの姿勢を取った。以前テレポートの失敗で、訳の分からないところにすっ飛ばされた経験のある者たちである。幸いまだ大人数での失敗は無いが、公演直前に他の島などに飛ばされたらそれこそ一大事だ。
 
「───そおれっ!」
 
 皆の願いが届いたのかどうか、転移魔法はとりあえず無事に発動したらしい。見慣れた金色の光が皆の体を包み込むと、彼等は次の瞬間ナ・ナルの広場に立っていた。
 昨日広場に仮設した大テントの前に一瞬で現れた演劇組一同は、すでに慣れたもので辺りを見回したりもせずに即刻各々の仕事に取り掛かる。
 
 仮設とは言え大テントの中は立派な造りになっており、舞台も広く作られている。劇の最後でエコーが谷底から叫び返すシーンのため、簡素だが深めの奈落まで用意されていた。
 今回の劇では舞台が自然の中なので、ペコラの出番は特に無い。代わりに、ウォーロックが考案した幻術を駆使して土のある森と深い谷を再現するのだ。
 
「役者、着替えたら髪と化粧あるから左袖の楽屋行ってー!」
「はいっ!」
「幕遅いよ! 来たらそっちとそっちやって、あとそこだけは掛けちゃ駄目だからね!」
「分かりました!」
「待機位置の確認はしてある!? 特に舞台幻影担当の紋章師、見えるとこにちゃんと場所置いて!」
「大丈夫です!」
「客席は万全? 受け付け置いた? 担当は不備のないように確認してね!」
「了解しました!」
 
 声を張り上げて沢山の指示を飛ばしている小間。その檄に、準備に追われるメンバーたちが同じように声を張り上げ応じる。
 
 活気のある公演準備の様子に、ナ・ナルの島民が集まってきた。公演では券の前売り等はしていないので、是非ドラゴン軍の勇士たちによる評判の演劇を観劇したいという住人たちが、公演開始が間近なのを見て券を購入し、席に着き始める。
 その様子を袖から見ていたフレアが、最後に髪を結われているアルド、既に準備の整っているテッドとフレデリカのそばに戻ってきて報告した。
 
「もう、お客さんで席が埋まってるわ。立ち見まで出てるの」
「嘘だろ…」
「まあ、やるしかあるまいよ」
「が、頑張りましょうね…。ああ、どきどきしてきたなあ」
 
 はっきり言って今回の役者たち、舞台を踏むのは今回が初めてだ。いずれも大勢のモンスターを相手にして怯むことは無い歴戦の強者ではあるが、大勢の観客を相手にしては流石に緊張する。
 完成とばかりにアメリアに髪を引っ張られて呻きながら、アルドが緊張気味に呟いた。
 
「とっても今更ですけど、…やっぱり僕が美男の役をやるのは、ちょっと無理があるんじゃないかな…」
「何言ってるの、本当に今更よ。それに、見た目のことならあなたが自分で言うほど悪くはないと思うわよ? 謙遜しない、自信持って!」
 
 消極的な彼を励ますように、フレアが明るく言う。フレデリカもそれに微かに笑った。
 
「ああ、あたしもそう思う。アルドは謙遜しすぎだ。その衣装も似合ってるよ、それに何より髪型がいいな。目に新しいし、よく似合う」
 
 結局公演日まで消えなかった額の痣をなんとかして隠すため、いつもの高く結い上げた髪型は今日は見られない。艶やかな黒髪は下ろされ、左肩にまとめて掛けて一つに結ってあった。鋭く整った顔立ちをしているが、もともとの穏やかな性質が表情に表れているアルドによく似合っている。
 
「ありがとうございます。なんだか痣が消えなかったから、この髪型になったんですけど……見えませんよね?」
「大丈夫、ちゃんと隠れてるわ」
 
 心配げに毛先をつまむ彼を、沈黙を守ったままのテッドが気まずそうに一瞥した。
 
 と、舞台のほうから声が聞こえた。全員がそちらを振り向くと、楽屋に状態を確認しにきた小間が入ってくる。
 
「皆、準備はいいかい? あと四半時くらいで始まるよ」
「大丈夫よ」
 
 フレアの返事に頷いて四人を見回した小間は、満足げに笑った。
 
「皆、結構似合ってるじゃないか。これなら、例え演技を失敗してもなんとかなりそうだね。───それはそうと、テッド」
「……なんだよ」
「アレ、飲んだのかい?」
 
 小間の言葉に、ぴくりと反応する四人。
 
「そういえば、そろそろ飲まないといけないわね」
「……あと四半時もある」
 
 フレアもにっこりと小間に同意すると、テッドは微かに後退りして拒否の意を示した。
 
「そういうわけにはいかないわ。早めに飲んでもらって、私たちも慣れておかないと。フレデリカさん、そっち押さえて」
「分かった」
「なっ、なんでお前らが慣れなくちゃ───!」
 
 女性二人に両脇から動きを封じられ、テッドはじたばたと抵抗する。よく分からない迫力に止めることも出来ずおろおろと見ているアルドのそばで、仁王立ちした小間が木箱の上に置いてあった小さな瓶を手にして微笑んだ。
 
「往生際が悪いよテッド。もうお昼だし、にっこり笑って『いいとも!』くらい言えないのかい?」
「どこの世界の話だ!」
「いいから早く飲んでよ、毒薬ってわけじゃないんだし。いずれは飲むんだからさ」
「やめ───」
 
 小間は暴れるテッドの鼻をつまんで無理やり口を開けさせ、小瓶の中身を全部突っ込んだ。彼が離れた瞬間、女性二人が押さえていた腕を開放するとテッドはげほげほとむせる。慌てて駆け寄り背中をさするアルドに掴まりながら、彼は涙目で怒鳴った。
 
「お前ら悪ノリも大概にしろよ!」
 
 明らかにミスマッチな、可愛らしく甲高い少女の声で。
 
「……………ぷっ」
 
 瞬間、思わずその場の全員が吹き出した。はっと口を押さえ、その後真っ赤になって俯いたテッドを、自身もつい笑ってしまったアルドが慌ててフォローする。
 
「ごっ、ごごごごめんねテッドくん!! あの、いきなりだったからつい───」
「だから言ったでしょ、私たちも慣れておかないとって。演技中に吹き出しちゃったらまずいじゃない」
 
 アルドの必死な科白を、未だけらけら笑っているフレアが遮った。それを聞いてテッドが ばっと顔を上げ、周囲を凄絶な眼で睨み付ける。格好が格好なだけに凄みはまるで無いのだが。
 
 小間がテッドに飲ませた正体不明の水薬は、使用者の声を変える薬だった。
 外見こそ衣装とかつらと化粧で自然に見えるものの、声だけはどうしようもない。裏声なんぞ使えるような役者でもないので、小間が船医であるユウに頼み、そのような薬が無いか探してもらったのである。結果、呼吸器系の薬のなかで副作用として短期間だが声が変わってしまう薬が発見された。それをユウに調合しなおしてもらい、先ほどテッドが飲まされたような即効性、且つ副作用が顕著な実用性ゼロの怪しい薬が出来上がったのである。
 
 小間がようやく笑みを収め(口の端はまだ引き攣っていたが)、えらく不機嫌になってしまったエコー役に言葉を掛けた。
 
「笑って悪かったよ、テッド。でも、これには慣らしの時間が必要なんだ。今の声はあんまりにも…その…」
 
 再度吹き出しそうになる小間に、テッドのこめかみに青筋が増える。必死で堪え、なんとか真面目な表情を崩さないままに小間は続けた。
 
「…っまあとにかく、君には合わない声だよね。もう少ししたら薬が馴染んできて、違和感の無い女の子の声になるはずだから、早めに飲ませたんだ。君だってその声で観客の前に出たくはないだろう?」
 
 いくら変装(テッド談)していてもそれは嫌だ、と彼の心の声が容易に聞こえる。
 
「でしょう。だから我慢してね、それくらい」
「……じゃあ、お前は平気でこんなこと出来るのってのか?」
 
 なるたけ声を聞かれたくないらしいテッドは、小間を睨みつけながらもやけっぱちのように小声で問う。
 その言葉に、小間はきょとんとしてテッドを見つめ、答えた。
 
「当然じゃないかそんなこと」
「は?」
「僕たちは素人なんだ。それが声をおかしくするくらいで劇が成功するのなら、そんなのは安いもんだよ」
「……」
 
 彼のこの強さは何なのだろうか。
 
 小間はふと舞台の方に目を向け、しばし視線を彷徨わせた後に踵を返した。
 
「もう、開演の挨拶が始まる。僕は行くけど、皆は指示通りに動いてね。健闘を祈るよ」
 
 どうやら観客はテントに入り終わったようだ。ある程度落ち着いた喧騒が、幕越しにも聞こえてくる。
 袖から舞台に出て行った小間を見送り、簡素な楽屋には役者の四人だけが残った。フレアがそこでおもむろに全員を見回し、恐らく最後になるであろう檄を飛ばす。
 
「みんな。私たちは全員、これが初めての舞台よね。しかもリハーサルさえも無かったし。
───でも大丈夫、絶対に成功するわ。そう信じて、頑張りましょう!」
 
 舞台の方からは、朗々とした小間の声が聞こえてきた。開演前の挨拶、とやらをしているのだろう。先程までの観客たちのざわめきが静まって、彼の声だけが響いている。
 と、一瞬だけ幕がめくれ、小間の声がはっきりと耳に届いた。その後はまた幕が閉じ、微かにくぐもったような声が聞こえてくる。どうしたかと役者たちが一様に舞台のほうを向くと、楽屋にデスモンドが入ってきた。
 
「皆様、まもなく開演ですのでどうぞ配置にお着き下さい。……頑張って下さいね」
「分かったわ、デスモンドさん。───さあ、配置に着きましょう。アルドさんは向こうの袖で待機、フレデリカさんはここで待機、私とテッド君は舞台ね」
 
 全員が微かに頷き、音を立てないように立ち上がった。丈夫に出来ているとは言え、幻影魔法を上手く反映させるため木で組まれた急ごしらえの楽屋は、床下ががらんどうになっている。つまりは、ちょっとした物音でもよく反響してしまうのだ。
 慎重に楽屋を出て、閉じられた幕の中それぞれが小走りに配置に着く。アルドは簡単な木組みの上に作られた幻影の橋を渡り右袖の楽屋へ、フレデリカは客席から見えない左袖のぎりぎりの位置へ、フレアは左袖近くの舞台最前面へ、そしてテッドは幻影の森の奥、舞台最奥面へ。
 
 そして、彼らが配置に着くのを見計らったかのように、小間の挨拶が締めに入った。
 
『───それでは皆様、長らくお待たせ致しました。……【エコー】、開演です。ごゆっくりお楽しみ下さいませ』
 
 リーダーの言葉が終わると同時、拍手と歓声が開かれゆく幕の間から現れ始めた。
 いよいよ本番が始まったのである。
 
 
 
***
 
 
 
『……昔々の、お話です。あるところに、一人の心優しいニンフが───』
 
 幕が開ききると、幻影魔法によって舞台と同じように森の中に見せかけられた観客席が完全に見えるようになった。それと共に、集まる視線と同じだけ役者たちに掛かるプレッシャーも増大する。
 
 フレアが幕の中から一歩踏み出し、観客を見渡して一礼してから、ゆっくりと台詞を紡ぎ始めた。その背中を眺めつつ、テッドは微かに咳払いをしてみる。先程までとんでもなく不似合いだったその声は、小間の言っていたように薬が馴染んできたのか先程よりも違和感が無くなっていた。これならばなんとかなりそうだ。
 
『───そんなある日、ナルキッソスという美しい青年が森を通りかかりました。エコーは一目でナルキッソスに恋をしてしまったのです…』
 
 そんなことを思っているうちに、ナレーション・フレアの台詞が終わる。そろそろ自分の台詞だと、テッドは気を引き締めた。
 
 
 
 フレアが一歩下がったのを見て、挨拶を終えて右袖に引っ込んでいた小間が隣にいたアルドに合図をした。
 
「出番だよ、アルド」
「は、はい」
「大丈夫、緊張しないで。舞台は森だよ? 慣れてる場所だ、ちょっと人が多いだけだと思えばいい」
 
 どんな役者でも、大体はリハーサル時に大勢の前で演技することにある程度慣れるのだが、如何せん今回の役者たちには初舞台に加えリハーサルの機会が無かったのだ。どこかぎくしゃくとした動きで楽屋を出て行こうとしたアルドに苦笑し、小間は彼に声を掛けた。
 
「失敗を怖がらないことだよ。ちょっとくらい間違ったって観客は気にしないから、自然に演技して。気をつけるのは、額の痣くらいかな。見えないように」
「分かりました…」
「それに、演技が下手だろうがなんだろうが外見に誤魔化されてくれる人もいるはずだからね」
「え、それはどうかと───」
「いいかい、そんなにも君が自分の姿に自信が無いのなら、せめてフィルの服作りの腕とアメリアのセンスを信じるんだ。無理かな?」
「い、いえそんなことは!」
「だろう。さあ深呼吸、そしてこれを繰り返す。『ここは森』『ここは森』『ここは森』」
「ここは森、ここは森、ここは森」
「落ち着いてきただろう? そうさ君は落ち着いてきたんだ、僕が言うんだからそうなんだよいいね(きっぱり)」
「……は、い?」
「さあ、落ち着いたところで僕らの豊かな未来に向かってGO!」
「……?」
 
 小間に有無を言わさぬ口調で断言され、疑問符を浮かべながらもアルドは楽屋を後にした。なんにしろ、これで緊張は解れたようだ。先程より断然自然体になった足取りを見ながら、小間は肩をすくめて隣にいる幻影担当のウォーロック、その他魔法効果担当のジーンにナルキッソスに対する演出を指示した。戦いに辟易し、争いの無い暮らしを望む老魔術師は、戦闘に駆り出される時よりは余程嬉々として杖を振る。
 
 
 
 楽屋で何があったか知らないが、ナレーションが終わってから何故か少々の間を置いてナルキッソス役が舞台に出てくる。
 途端、観客席から微かなどよめきが漣のように広がった。
 
 小間の指示により、ウォーロックが森に降り注ぐ陽光の幻影を舞台に出て行くアルドに纏わせ、ジーンが紋章を使いゆるやかな微風を舞台に吹かせた。
 (痣を隠すために)緩くまとめた艶やかな黒髪が光を弾いて風になびき、そして美しい純白の装いもまた煌く粒子を纏って輝いている。幻の大地を踏みしめるその足取りは(緊張してバランスが取りにくいせいで)優しく、微かに俯き加減の整った横顔には(失敗しないようにしなければという)静かな意志が宿っていた。
 
 中身を紐解いてみればとんでもなく人間くさい以外の何者でもないのだが、観客はそんな事情など知る由も無い。ただその外見とそれを引き立たせた演出による、神々しい(役)の美しさに目を見張るばかりである。裏方の紋章師たちによる目覚ましい働きのおかげもあり、舞台に立つアルドは仮にも人外の役に相応しい人間離れした雰囲気を纏っていた。
 
 
 
 ようやく舞台に出てきたと思えば、観客の歓声に戸惑って歩みが遅れている。幻影の森の奥でナルキッソスのアクションを待ちながら、エコー役のテッドは小さく舌打ちした。
 恐らくアルドは、自分が出た瞬間に観客がどよめいたので何か失敗でも仕出かしたのかと焦っているのだろう。
 
「そんな杞憂はいいから早く橋渡れっての…」
 
 テッドはいらいらと小声で呟き、多少覚束ない足取りで森へと近づいてくるアルドに視線を据える。そろそろ自分にも観客が目を向ける頃だ。
 
 
 
 時間を掛けつつもおおよそテッド扮するエコーが見える位置まで来たナルキッソス役のアルドは、深い緑の中になんとか人影を確認する。何故か睨みつけられているようだが、やはり何か失敗してしまったのだろうか。
 おろおろとテッドを見遣ると、アルドを睨みつける彼の口元が微かに動いていた。狩人としての聴力・視力を総動員させて必死に聞き取り、読み取った言葉は、
 
(失敗とかじゃないから、いいから台詞! 早くしろ!)
 
 である。どうやらこのざわめきは、自分が何か失敗したからではないらしい。
 アルドは微かに安堵の息を吐くと、これ以上台詞が遅れたら噛み付きかねない顔をしているテッドに向け、ようやく穏やかに言葉を紡いだ。
 
『…そこに、誰かいるのかい?』
 
 
 
 どうやら、なんとか本日の劇は展開し始めたらしい。テッドは小さく嘆息すると顔を上げ、常の自分とは明らかに違う声でナルキッソスの言葉を繰り返した。
 
『そこに誰かいるのかい?』
 
 前方に立っているフレアの肩が小刻みに震えているのを睨みながらも、ナルキッソスの方に体を向ける。アルドは二人の間に流れる空気にはらはらしつつ、劇を進めようと次の台詞を口にした。
 
『…出ておいで』
 
 その台詞に、テッドはフレアに向けた険悪な視線をとりあえずアルドに移す。びくびくと立ち尽くしている彼を見据えたまま、エコー役はゆっくりと森から出てきた。
 途端にあがった『ねーちゃん可愛いなー!』だのという野次だか歓声プラス指笛に、先程から寄っていた眉間の皺が更にきつくなる。しかしその凶悪な視線にさらされ続けているナルキッソス役は、劇の進行中という状況下で気の毒にどうすることも出来ずにいた。
 
 
 
 観客からは見えないが妙に目つきの悪いエコー役が森から出たのを確認し、袖で出番を待つフレデリカは嘆息した。
 とてもではないが究極のナルシストには全く見えない純朴そうなナルキッソスと、到底今しがた一目惚れをしたニンフとは思えない半眼で仏頂面のエコー。今更ながらミスキャストかもしれないが、観客にはそう見えていないあたりもしかしたらキャスティングは成功しているのかもしれない。
 ふと、テッドの肩がぴくりと震えた。何事かとその視線が向かっているであろう先を見遣ると、アルドは背を向けている右の袖で小間がにっこりと笑んでいる。誰しもが分かるその無言の圧力を受けてか、テッドはぎこちなく表情を正した。
 それを合図に、アルドが少々気後れしつつもナルキッソスとエコーの問答シーンを始める。
 
 
 
『こんなところで何をしているの?』
 
 ナルキッソスの問い掛けが、仮設の劇場に響いた。何とはなしに、テッドはそれを聞いて自分が現在女役をやっていることを再認識してしまう。
 小間の笑顔が、フレアの震える両肩が、歓声をあげる観客が、自分に纏わりつく光の粒子が、頭に乗っている緑がかったプラチナブロンドのかつらが、目の前で心配そうに見つめてくるアルドが、全てが自分を馬鹿にしているようにすら思えてきた。
 なんだかもう天を仰いで溜め息を吐きたい気分になってきたが 何とかそれを心中に留め、実年齢百五十数歳の見かけ少年は、恋するニンフになりきって(現実逃避して)しまおうと目を閉じた。
 
 
 
 一方台詞を口にしたナルキッソス役は、目の前のエコー役がふと目を閉じたのに戸惑った。
 
(あれ、テッドくん…台詞は?)
 
 台本に変更などあっただろうか。テッドが何も言わないということは、自分が何か言うか動くかしなければならないのか。
 混乱しているアルドを前に、テッドはすっと目を開く。その顔は完璧な無表情を纏い、しかし紡がれた彼のその声は 嬉しさを隠し切れない少女のものだった。
 
『こんなところで何をしているの?』
 
 軍の演劇組メンバー(裏方含)、要するにテッドがエコー役だと知っている者達は、もう思わず目が点である。
 あのテッドが、あの無愛想どころではない性格の少年が、あんな感情のこもった声を…!?
 これは夢か、そうか夢だ。奇跡が起きた、いるとは思わなかったが神が我等を救った。
 混乱しておかしな考えを脳裏に浮かべる軍の者たちの中で何が起きたのか一瞬で理解できた者は、悲しいかなテッドを最も気に掛けているアルドではなく 開き直りの恐ろしさを知っているリーダー小間と、当人テッドだけであった。
 
 面食らって立ち尽くすナルキッソスに、台詞を忘れたとでも思ったのか観衆は微かにざわめき始める。それに舌打ちし、エコーは観客に見えないよう視線で合図を送った。
 その眼の不機嫌さに、アルドはようやくテッドがおかしくなったわけでは無いことを理解する。
 
(…あ、いつものテッドくんだ。ってことは、これは演技なんだよね? すごいなあ、テッドくん戦闘以外も上手だったんだ…あ、なんか睨まれてる。…いけない、台詞! これ絶対台詞忘れたと思われてるよね。えーとえーと、何かこの沈黙をフォローするアドリブは───)
 
 そこまで考えて、ナルキッソスはようやく ややぎこちないが役者らしい笑みを浮かべて言葉を紡いだ。
 
『…ごめんね、君に見とれてたんだ。僕はここを通りかかっただけだよ』
 
 今度は眉をひそめるのはテッドの番だ。ナルキッソスの台詞に、記憶に無い言葉がくっついている。
 訝しげに眉根を寄せるが、すぐに沈黙にあわせたアドリブだと理解した。なにやら納得したような観客の声が耳に入ったからである。
 言葉にされたからには自分も口にしなければなるまい、自分はエコーなのだから。
 
『ごめんね、君に見とれてたんだ。僕はここを通りかかっただけだよ』
『えっ、ありがとう! 嬉しいな』
 
 鸚鵡返しのテッドの台詞に、次の台詞である『嘘を吐くなよ』は展開的におかしいと思ったのだろう。
 
(しょうがねえな…)
 
 アルドは当り障りの無さそうな言葉を選び、アドリブを続けるようだ。テッドもそれに、話の流れが元に戻るまで付き合うことにした。
 
 
 
***
 
 
 
『…ありがとう、嬉しいな』
『僕こそ。でもちょっと恥ずかしいね』
『僕こそ。でもちょっと恥ずかしいね』
『君も? そんなに綺麗なのに』
『君も? そんなに綺麗なのに』
『ええ、照れるよそんなこと…。でも君は、自分のこと『僕』って言うんだね』
『君は、自分のこと『僕』って言うんだね』
『そりゃ、僕は男だから』
『僕は男だから』
『え、君男の子だったのかい?』
 
ざわざわ
 「おい、あいつ男だったのか?」
 「え、違うでしょう? あんなに綺麗なのに」
 「ていうかアレって台詞だろうよ」
 「あ、エコーって繰り返すだけだもんね」
 「でも台詞とか抜きにしてどうなんだろ」
ざわざわ
 
(…やばいな…)
 
『え、君男の子だったのかい?』
『あれ、そう見えない?(困ったな、どうやって話を戻そう)』
『……(ぎろ)』
『(びく)』
 
がた
「(アルド、こっち見て!)」
ぶんぶん
 
『(?)』
『(小間さん、いつの間に左袖に…。あ、何か持ってる。えーと……ここで台詞【結構失礼なことを言う人だね。そう言えば、最初の質問に答えてないよ。君はどうしてここにいるの?】か…)』
 
『結構失礼なことを言う人だね。そう言えば、最初の質問に答えてないよ。君はどうしてここにいるの?(良かった、戻った…)』
『(…こいつにしちゃ戻し方が上手いな)君はどうしてここにいるの?』
『だから、僕は通りかかっただけだよ』
『だから、僕は通りかかっただけだよ』
『嘘を吐くなよ!』
『嘘を吐くなよ…』
『僕は嘘なんて吐いていない(テ、テッドくん無表情だけど悲しそう…)』
『僕は嘘なんて、…吐いていない(何うろたえてんだ、こいつは)』
『ふざけてないで、答えてよ(ごめんねテッドくん…!)』
『…ふざけてないで、答えてよ…っ!(なんでこいつが泣きそうなんだよ)』
『いい加減にしてくれ!(うわあ、罪悪感)』
『いい加減に、してくれ…(大丈夫かよ、おい)』
 
『……っ! …どうやら、君とは話が出来ないみたいだね(テッドくんほんとにごめんねっ!)』
 
くるり
すたすたすた
 
『! ……っう…ぁ……っ…(なんだったんだあの顔は)』
 
すててててて
 
 
 
***
   
 
 
 泣きまねすらも完璧な演技を観衆に見せ付けた後、テッド扮するエコーは右袖奥に向かって舞台から走り去った。ちょうど崖っぷちをなぞるように楽屋へと駆け込んだ瞬間、彼の体を見慣れた金色の光が包む。舞台とは打って変わって灯りの少ない楽屋の中、ぼんやりと発光する杖を掲げたビッキーが目に入った。
 瞬間、視界が一変する。
 眩暈のような浮遊感の後、彼は頭上からわずかな光の差し込む板張りの場所に立っていた。つい今しがたまで立っていた舞台の下にある、奈落である。
 ナルキッソスとの会話シーンを終えたのち、舞台袖に走り込んだエコーはビッキーの転移魔法により谷底もとい奈落へと移動させられる手筈になっていたので、テッドは特に驚きもしなかった。
 広場の土を掘り下げて作られたこの奈落は、リアリティのあるやまびこを作り出すため結構な深さがあり、不用意に落ちれば怪我の一つ二つは必至だろう。舞台上とは谷底の幻影と繋がっており、今 谷の上から覗き込めば暗がりにテッドが見えるはずだ。
 
(あとは、ナレーションが終わったら旅人の台詞を叫べば終わりだな…)
 
 事前の打合せでは、旅人の叫ぶ台詞は観衆の状態に合わせてではあるが基本的に『打倒クールーク!』あたりでいくことになっている。フレデリカが叫び、テッドが繰り返し、観衆に混じった数人のサクラがそれに乗って拳を振り上げる。観衆の反クールーク感情が高まった頃に小間とアルド、テッドがテレポートにより舞台へ出てきてリーダーが劇の終焉を告げ、軍への協力を請うというのが本日の予定になっていた。コスい手を使っているという意見もあるが、まあ演出と雰囲気は大事である。
 
 頭の中で進行予定を簡単に追いながら、奈落の底でテッドは自嘲気味に微笑した。
 なんやかんやで抵抗しながらもここまでやってしまった。いつも人を寄せ付けないで生きてきた自分が、普段の自分なら有り得ないほどたくさんの人物たちと関わり、会話をして。やたらひらひらした衣装を着て女の声で話し、あまつさえ開き直って完璧に役を演じたりもして。
 
(……認めないと、な)
 
 心中では仕方が無いのだと常に自分に言い訳をし続けていたが、この一週間。
 テッドは、紛れも無く幸せだったのだ。
 あからさまに迷惑げな顔をしても全て知ったように笑うあのリーダーの力も大きいが、しかしこの幸せは。
 どれほど冷たくしても、どれだけ突き放しても。罵っても喚いても終いには殴っても。最後には必ず笑みを浮かべて自らの名を呼ぶ、彼(か)の優しき青年の存在が絶対だっただろう。
 
 紋章を継いでから、最初はただ傷つけたくない一心で人を寄せ付けないように生きてきた。しかし、いつからだろうか。
 
 何故、自分が他人と関わらないようにしているのか。その理由を忘れかけ、ただただ周囲を拒絶するようになっていた。
 まるで、それが自分のただ一つの使命かのように。何故拒むのか、その理由を考えることをやめ、ただそうしていれば後悔することもないと頑なに。
 
 いくら表面で拒んだところで仕方なしにでも暖かな空気に混じれば、否応なしに心はその久しく忘れていた温もりを求める。追いかけられること、からかわれること。いくら反発しても、内心でそれを楽しいと、嬉しいと思っていれば、必ず慕う想いを持ってしまうのだ。
 それこそが人である証、人の性。だがテッドにはそれが許されていなかった。
 
 常ならば拒絶したいなどとはあろうはずもないが、自分にはそうしなければいけない理由がある。
 ただ拒めば良いのではない。純然たる意志を持ち、決して自分は皆と馴れ合いはしないのだと示さねばならない。
 だがしかしそれを貫くには、この船の人間たちは、彼は、情に篤すぎた。
 ならば。
 
(───この劇が終わったら、船を降りよう)
 
 船という閉鎖された空間の中で逃げ場の無い優しさに触れ続けるよりは、冷たくも開けた孤独な大地に降りた方が良いだろう。霧の船の導者がこの世から消えた今、自分はもう紋章から逃げることは出来ない。
 せめて最後に小間への借りを返すつもりでこの劇を成功させ、それが終わったら根性丸を後にしよう。あの青年の優しい笑顔を、魂もろとも死の旅へ送り出してしまう前に。
 
 
 
 決意を胸に、唇を噛み締める。しばし俯いた後、テッドは気持ちを切り替えるように頭上を見上げた。
 と。
 
 いつの間にかナレーションの台詞は終わっていたらしく、谷の上には光を遮ってフレデリカが顔を覗かせていた。準備は良いかとの視線による問いかけに、軽く頷く。
 それにかすかに頷き返し、旅人役は顔を上げて声高に叫んだ。
 
『さあやまびこの精よ、その腕に抱きとめるがいい。お前の想いし彼(か)の者を!』
「…………・は?」
 
 予定とは全く違い、無論のこと予想からは外れすぎたその台詞。谷底のエコー役は、自らの名が由来となった木霊を返すことも忘れて間抜けな声をあげる。
 フレデリカは木霊が返ってこないことに気にも留めず、一旦谷の上空から引っ込んだ。
 
 そして、次の瞬間。
 
「うわっ!!」
「んなっ……!?」
 
 見上げたままの崖っぷちから、黒髪のナルキッソスが降ってきた。
 
 
 
***
 
 
 
 少々時間は遡るが、小間は左袖に移動して以来、エコー役とナルキッソス役のやり取りをじっと見つめながら手にした紙に何かを書き付けていた。
 テッドの迫真の演技、アルドの纏う雰囲気、そして観衆の反応。全てを考慮し、やがて小間はある決断をした。
 
「───ちょっと二人とも良いかい?」
 
 自分の隣に佇み劇の行方を見守るフレデリカと舞台前面にて立ち尽くしているフレアを手招きすれば、二人が側に寄ってくる。
 小間は観客席にちらりと視線を向け、その後女性たちに向き直って小声で話を始めた。
 
「今から、劇の展開を変えるよ」
「えっ、今から?」
「何故そんな急に、なにかあったのか?」
 
 途端惑いの色を瞳に浮かべた二人に、小さく舞台方面を指差してみせる。そこでは、未だアルドとテッドが鸚鵡返しの演技を繰り広げていた。
 
「あれ、見たところ結構ウケてるみたいなんだ。だからこのまま普通に劇を進めるとするなら、旅人の台詞が『打倒クールーク!』だとなんだかいまいちノリきれないんだよね。そこで、簡単に今変更の台詞を考えたから覚えて欲しい」
「……分かったわ。いまいち自信ないけど」
「大丈夫、ナレーションは台本どおりの台詞が終わったあとに『しかし、幾年それが続いたかも分からなくなった、ある日のことです』って付けるだけ。あとは旅人が舞台に出てる最中に、簡単な締めの台詞覚えてくれればいいよ」
「それでは、あたしはどうすればいいんだ?」
「旅人は、ちょっと設定を変える。…ここに、ペローから預かった資料があるんだ。それで色々考えたんだけど、『旅人役』はただの旅人じゃなくてこの神様にする」
「ふむ…」
「で、劇の展開なんだけど。フレデリカ、舞台に出たら右袖からアルドを引っ張ってきて。手招きでもいいけど」
「何?」
「シナリオとしては、後にエコーの想いを汲み取った愛の女神がナルキッソスの下へやってきてエコーの事情を説明し、彼女の住む谷底にナルキッソスを送るんだ。で、二人は再度出会って誤解を解き、めでたくハッピーエンドと」
「……原作を捻じ曲げすぎてないか? ただでさえ綺麗な話にするためにこねくり回していると言うのに」
「いいんだよ。力の強い者が一番なんて言ってるこの島に、愛の力は偉大だとかなんとかって言ってやって」
「………」
「じゃあ僕は右袖に戻ってアルドを待機させておくから。引っ張ってきて台詞を言ったら、後は遠慮なく谷に突き落としちゃって」
「突き落と…!?」
「落ちる途中でビッキーに奈落まで転移させてもらうから大丈夫だよ。あ、台詞に関しては心配しないで。ちょっと長いし、向こうで僕がカンペ掲げてるから」
「(……恐ろしい少年だ……)」
 
 楽屋から奈落へと続く通路に消える小間の後姿を見ながら、フレデリカは目を閉じて眉間に皺を寄せた。すぐに向こうの袖に小間が姿を見せ、そしてそれと同じくらいのタイミングで、エコーとナルキッソスが会話を終える。
 先に袖へ引っ込んだアルドが小間にとっ捕まるのがよく見えた。微かに間を置いてテッドも楽屋に駆け込み、瞬く間にテレポートされたのもはっきりと確認できる。
 しばし待ってから、袖に隠れてナレーションの台詞が流れ始めた。
 
『エコーはナルキッソスを怒らせてしまった悲しみのあまり、深い谷底へ駆け込んでしまいました。それ以来、彼女は谷の底から出てくることはなく、たまに旅人が通りかかったとき谷に向かって何か叫ぶと、返事を返してくるだけになったのでした。……しかし、幾年それが続いたかも分からなくなった、ある日のことです…』
 
 
 
 こつりと舞台に踏み出せば、途端に膨れ上がるヒートアップした観衆の熱気。如何にここまで劇が成功してきたのかがよく分かる。
 ゆっくりと橋のたもとまで歩を進め、正面の袖にいるアルドに軽く目配せする。小間から事情は聞いているらしく、彼は微かに頷いて幻影の橋を渡って来た。
 アルドがすぐ隣に来たのを確認すると、フレデリカは谷底を覗き込む。俯いているテッドを視界に入れ、しばし待っていると気配に気づいたのか彼はふと顔を上げた。
 準備はいいかと視線で問い掛け、軽く返ってきた肯定の返事に頷き返して右袖を見遣る。そこには小間が、薄暗がりの中即興の台詞を書いた大きな薄板を持って立っていた。
 さっと目を通し、その台詞を声高に読み上げる。
 
『さあやまびこの精よ、その腕に抱きとめるがいい。お前の想いし彼(か)の者を!』
 
 奈落の底で、テッドの眼が点になっているのが雰囲気で分かった。もしかしたら小間から展開の変更を聞いていなかったのかもしれないが、恐らく支障は出ないだろう。
 そんなことを考えつつ、側に立っているアルドに向き直る。
 
「───悪いな」
「え?」
 
 小声で謝り、そして。
 フレデリカは唐突に、ナルキッソス役を谷に突き落とした。
 
「うわっ!!」
「んなっ……!?」
 
 事前に話を聞いていたらしいとはいえ、よもや突き落とされるとは思っていなかったのだろう。何の準備も無く虚空に押し出され落下を始めた彼を、ビッキーの生み出した金色の光が包み込む。
 瞬間的に奈落の底、テッドのそばへ移動させられたアルドを確認したのちに、フレデリカは小間の持つ新たな薄板の文字を声に出した。
 
『エコー、私は全能の神ゼウスと天空の神ディオネの娘、美と愛の女神アフロディテ。故あってこのような身なりをしているが、お前の愛のための苦しみを見かねてやってきた。河の神ケーピーソスと水の妖精レイリオペーの息子ナルキッソスを、お前と同じ深き谷底へ送ろう。あやつもかつてはお前の事情を知らぬ身、しかし今は心を改めた。許し、愛し、共にいるがいい』
 
 声高らかに言葉を紡ぐ、やたら凛々しい美と愛の女神の姿に観衆はますますヒートアップする。それを見て、右袖に佇む小間は満足げにOKサインを出した。
 
 
 
***
 
 
 
 場所は変わって奈落の底。
 先程突き落とされその途中で転移されたアルドはエコーに抱きとめられるどころではなかったが、なんとかかんとか受身を取ることが出来た。少々心配だったテッドの上に落ちるということもなく、少し呻いてからゆっくりと立ち上がる。
 
「っ痛ー…」
「───なんなんだよ、この展開は」
 
 声にふと隣を見れば、奈落の暗闇の中でも分かる憮然とした表情で立ち尽くしているエコー役の姿が眼に入った。慌てて衣装の懐から、小間に渡された台詞のメモを一枚差し出す。
 
「あ、あのねテッドくん、なんだか途中で変更があったみたいなんだ。これ、追加の台詞。フレデリカさんのこの台詞───今言ってるね。これが終わったら、僕たちも会話を始めろって。小間さんが二回足踏みしたら、魔法でここの声が観客の人たちにも聞こえるようになるから気を付けてね」
 
 憮然としながらもテッドが肯定を口に出そうとしたそのとき、頭上で軽い音が二度響いた。小間の合図である。
 仕方なしに、暗がりの中で見るには正直苦しい文字が羅列してあるそのメモを開く。流し読みする時間すらも二人には与えられないままに、この劇における最後の会話は始まった。
 
 
 
 旅装束の凛々しき女神がひとり立つ舞台に、姿無きナルキッソスとエコーの声が響き渡る。
 
『エコー、また会えて嬉しいよ』
『また会えて嬉しいよ』
『以前出会ったとき、僕は君の愛に気付けなかった。そして、とても酷いことを言ってしまったね。どうか許しておくれ』
『とても酷いことを言ってしまったね。どうか許しておくれ』
『ああ、エコー。そうだったね。君は、話し掛けた者の言葉を繰り返すことしか出来ないのだったね。なんて可哀想に』
『なんて可哀想に』
『───エコー。もう答えなくともいいんだ。ここにいるのは僕一人、君を傷つけた過ちを償おうとしてやってきた僕ひとり。無理に答えないで、可哀想な愛しいエコー』
『……っ…』
『僕は河の神と水の精の子で、君は木の精。言葉などいらない、声などいらない。僕は君という木を、僕という水で育むために戻ってきたんだ』
『…戻って…きた…?』
『そう、僕は戻ってきた。そしてこれからは、何よりも優しい沈黙を君と過ごしたい。だからそのために、一度でいいから。一生、胸に刻んでおくから』
『一度でいい、から…』
『僕の名を呼んで、……ナルキッソスと』
『───ナル、キッソス。…ナルキッソス、ナルキッソス!』
『ああ、泣かないで、僕の大事なエコー。幾星霜を、たった独り過ごしてきたんだね。
 どんなに孤独だったろうに。どんなに寂しかったろうに。
 …もう大丈夫、僕が側にいるよ。ずっとずっと君に温もりをあげる、例えいつかこの身体が壊れても、僕は水仙の花となって君のそばに咲き誇ろう。だから泣かないで、愛しいエコー』
『………、ああ、愛しい、……っ!』
 
 声のみで繰り広げられる贖いと赦しの場面に、大勢の観衆はしんと息を潜めて聞き入っていた。
 
 
 
***
 
 
 
 二人の声が途絶えて静まり返ったかりそめの舞台に、ふとナレーションのフレアが姿を現した。彼女はそのまま歩みを止めることなく、舞台の最前面へと進んでくる。
 ゆっくりと足を止めて目の前に広がる観客たちに視線を向け、フレアは口を開いた。
 
『こうして、ただ独り谷底に住んでいた木霊の女神は、愛の女神の助けを借りて想い人の愛を得ることが出来たのでした』
 
 彼女の言葉が終わると同時、その背後、舞台の中央に金色の光が収束する。言わずと知れた転移魔法の光であるが、その輝きが消えると、そこにはこの物語の主人公である二人が立っていた。崖っぷちに佇んでいた旅人役も、それに気付いて観客方に向き直る。
 四人が舞台前面に歩み出て横一列に並ぶと、ナレーションは最後ににっこりと笑んで締めの言葉を口にした。
 
『───かくも美しきこの物語も、本日は終演となりました。お忙しいなか時間を割いていらして下さった皆様に、心より感謝を申し上げます。本日は誠にありがとうございました』
 
 四人揃って、ぺこりと頭を下げる。
 観衆であるナ・ナル島民の割れるような拍手と歓声の中、静かに幕は引かれていった。
 
 
 
***
   
 
 
 閉幕後、楽屋。
 
「ナルキッソス様ー!! やっぱり近くで見ても麗しいわ!」
「え、あの、ちょっ……!!」
「エコーちゃーん! 可愛いね、本名なんてーの?」
「寄るな触るな来んなー!!」
「女神様ー!! 格好良かったです、お姉様と呼ばせて下さい!!」
「は?」
「フレア王女、ナレーションお上手でした!!」
「あら、ありがとう」
 
 それぞれの役を演じきった役者四人は、押し掛けた大勢のファンにもみくちゃにされていた。対応してくれた小間やデスモンドのおかげでなんとか皆出て行ってくれたが、嵐のような勢いのファンたちにさすがの役者陣もかなり消耗している。
 そんな四人に視線を向け、小間は笑顔で労いの言葉を掛けた。
 
「みんなお疲れさま。すごい反響だね、予想以上だよ! これならこれからの収入も、かなり見込めそうだね」
 
 その声に、げんなりしていた四人が顔を上げる。フレアがため息をつき、肩を竦めて口を開いた。
 
「そうね。でも、これって考えてみればすごいことよね。だって私たち、リハーサル抜きで本番だったのよ? しかも途中から展開が正反対になったし」
「確かに。テッドなんか、展開変わったって知らせる暇が無かったからかなり戸惑っただろう? 悪かったね」
 
 小間の言葉に、エコー役は顔を伏せたままかすかに頷いた。それに苦笑すると、リーダーは思い出したようにアルドに向き直る。
 
「でもなんといっても今回の功労者はアルドだね」
「え、なんでですか?」
 
 疑問符を浮かべて瞬きするナルキッソス役は、本気で身に覚えが無いらしい。
 
「なんでって、───あのカンペ途中までしか書いてなかっただろう? 時間無くて書けなかったんだよね。だからアドリブで繋いでくれたナルキッソスに感謝ってこと」
「え、あの最後の会話ってアドリブだったの!?」
「最後の台詞はね。ほんとにぎりぎりだったから、『僕の名を呼んで』くらいまででぷっつり切れてたんだ。無理やり繋げてくれて助かったよ」
 
 実質的には笑い事ではないことを笑顔でのたまう小間。アルドの機転が無ければどうなっていたことか。
 黒髪の青年は照れたようにこめかみを掻き、
 
「読みながら思ってたんですよ、僕ならこう言うなって。だから突然台詞が途切れてたときも、自然に口から出たっていうか……」
「へえ、アルドって結構ロマンチストなのかしら?」
「えっ、いやそんなこと無───」
 
 フレアにからかわれて赤くなっている。そんな彼を見て微笑むと、フレデリカがテッドに視線を向けた。
 
「だが、アルドのアドリブに間を置かずに合わせたテッドも素晴らしいと言うしかあるまい。よくまあ混乱せずに合わせられたものだ、感心するよ」
「………」
 
 旅人役の賞賛を聞いても、テッドは黙して顔を伏せたままだった。
 
 
 
 正直、驚いた。書き付けてある文字列は終わっているのに、隣のナルキッソス役はそのまま聞き覚えの無い台詞を紡いでいる。
 しかし、その台詞はなんだか、台詞というよりもメッセージのように聞こえたのだ。『ナルキッソス』が『エコー』に話しかけているのではなく、『アルド』が『テッド』に語りかけているのだと。
 
───ああ、泣かないで、僕の大事なエコー。幾星霜を、たった独り過ごしてきたんだね。
   どんなに孤独だったろうに。どんなに寂しかったろうに。
   …もう大丈夫、僕が側にいるよ。ずっとずっと君に温もりをあげる、
   例えいつかこの身体が壊れても、僕は水仙の花となって君のそばに咲き誇ろう。
   だから泣かないで、愛しいエコー…───
 
 不覚にも、視界がぼやけた。
 いつも優しく自分の名を呼ぶ彼の声がこんな台詞を紡いでいるのを聞いて、演技だと分かっているのにどうしようもなく息が詰まる。
 必死にエコーとしての任を全うするため台詞を繰り返そうとするも、一言続けるだけで限界だった。
 暗がりの中、相手の表情は見えない。アルドは自分の状態を、演技だと思っているのだろうか。そうであってほしい、いやそうでなくてはならない。
 演技ではないと彼が知っているのなら、自分はこの船を離れられないだろう。
 百五十年も前に失った、家族の温もりを彼から感じてしまうから。
 
 
 
「確かに、テッドも迫真の演技だったわよね! 役者で十分やっていけるわよ」
 
 フレアが頷きながら、テッドの肩をぽんと叩いた。その手の重みにちらとだけ顔を上げ、向かいにいるアルドを見る。視線に気付くと、彼はかすかに目を細めて笑った。
 
「───さて、役者陣はそろそろ撤収。明日に響くといけないからね。初日だし、裏方はもう少し残って作業してから行くから、四人は先にビッキーに飛ばしてもらって。楽屋を出て、裏手にまわったところにいるから」
 
 話が一区切りついたあたりで、小間が立ち上がりながら告げた。役者陣に軽く手を振って、自身は舞台方面に消える。
 四人はそれぞれ異口同音に了承の返事を返しながら彼を見送り、その後ばらばらに外へ向かう出口をくぐった。
 
 
 
***
 
 
 
「テッドくん、お疲れ様!」
 
 テッドがテレポート少女のもとへ向かうべく歩いていると、予想に違わず後ろから追ってきたアルドが声をかけてきた。無視して歩を進めると、案の定めげずに話しかけてくる。
 
「フレアさんの言うとおり、リハーサルも無かったしアドリブばっかりだったし、大変だったね。でもテッドくんって演技上手だったんだ、知らなかったよ」
 
 やはり、気付いてはいないのだろうか。
 そのまま無視を続けていると、アルドはなおもあれやこれやと一人で話し続けている。
 いい加減 馬鹿馬鹿しくなってきて歩調を速めると、一緒になって早歩きになるかと思われた彼は予想外にその場でふと沈黙し、歩みを止めた。
 思わず数歩追い越したあたりで足を止めて振り向いてしまった自分を呪いながら、否応無しに合ってしまった視線を外そうと足掻いてみる。
 
 何故かやけに印象的な瞳がテッドの眼を見つめ、そしてその口がぽつりと呟いた。
 
「───ああ、泣かないで、僕の大事な君」
 
 瞬間、硬直してしまったのは不可抗力ではないだろうか。
 眼を見開いてしまって一気に冴えた視界の向こう、優しげに微笑んだ青年の言葉は続く。
 
「幾星霜を、たった独り過ごしてきたんだね。…どんなに孤独だったろうに。どんなに寂しかったろうに」
 
 一言一言が、研ぎ澄まされた鋭利な刃物の如く胸に突き刺さる。
 
「…もう大丈夫、僕が側にいるよ。ずっとずっと君に温もりをあげる、例えいつかこの身体が壊れても、僕は水仙の花となって君のそばに咲き誇ろう」
 
 囁きながら、アルドは一歩一歩こちらに近づいてくる。その瞳に見据えられたまま、テッドは踵を返して逃げることすらも出来ずにいた。
 
「だから、泣かないで」
 
 ───泣かないで。
 
「泣かないで、テッドくん」
 
 目の前まで距離を縮め、アルドはテッドの瞳を覗き込んで笑った。
 
「───泣かないでって、言ったのに」
「……うるさい」
 
 
 
 この青年は、どうしてこんなにも人の心に聡いのだろう。それは彼を育んだ環境のせいか、はたまた生まれ持った性質か。
 何にしろ、その鋭い感性は今のテッドの心を揺さぶるには十分すぎた。
 
「…・れが、せっかく、か…・したのに…っ、お前はっ、なんで…・こういうときばっかり……っ!」
 
 自分のあの悲壮な覚悟も何もかも、彼の声で行動で表情で、全て崩れてしまうのだ。
 この温かな場所から、逃れられなくなる。
 
 必死に紡ぐ言葉は震えが隠せず、傍で聞いていれば何を言っているのか分からないような状態である。
 しかし優しいナルキッソスは、意地っ張りなエコーが頬を拭いながら途切れ途切れに呟く科白に、じっと静かに耳を傾けていた。
 
 
 
***
 
 
 
 そして、一週間後。
 
こんこん
がちゃ
 
「テッドくん、ちょっといいかな?」
「……入れ」
「え? いいの?」
「───嫌ならいい」
「あー! 閉めないで閉めないで、お邪魔します!」
 
ばたん
 
「嬉しいなぁ、テッドくんが部屋に入れてくれるなんて」
 
うきうき
 
「……。何か用なのか?」
「あ、うん。さっき上で、ケヴィンさんがまぐろを調理してたんだよ。テッドくんの好きなものは分からないけど、このあいだ小間さんからまぐろは嫌いじゃないみたいだって聞いたんだ。だから、もし良かったら一緒に買いに行かない?」
「…………・」
 
はっ
 
「あ! で、でもね、これは『僕が』行きたいって思ってることだから、テッドくんは僕に『付き合って』くれないかな?」
「………・仕方ないな」
 
ふう
 
「来てくれるの!? ありがとう!」
 
ぱああっ
 
「………」
 
てれ
 
がっちゃん
ずごん
 
「ところがそうはいかないんだよねー!」
「……痛ってぇ……」
「っテ、テッドくん大丈夫!? ていうかその前に、小間さん? いきなりどうしたんですか?」
「───小間…何するんだよ……」
「えー? 二週間前に誰かさんが誰かさんにやったことかなー。あ、そう言えばアルド、まだ痣残ってるねー。自分でぶつけたんだっけ、大丈夫ー?」
 
にやにや
 
「……」
 
ぎく
 
「まあそれは置いといて。───残念ながら、僕は事情により君達の楽しいまぐろタイムをぶち壊さなきゃいけないんだ。ああ、なんてことだろう!」
「(…まぐろタイム?)聞いてたのかよ……ていうかやけに楽しそうなのは気のせいか? オイ」
「もちろんさ。軍のリーダーとしても、如何に仕方が無いとはいえメンバー同士が交流を持とうとしているところを邪魔しなければいけないのは非常に心苦しいよ」
「……」
 
じと
 
「ってことは、テッドくんに用事なんですか? …残念だなぁ…」
 
しょぼん
 
「っ!?」
「でも、仕方ないですね。───また今度、一緒に行ってくれる? テッドくん」
「……別に、構わないけど……」
 
てれ
 
「あー、違う違う」
「え?」
「僕が用事あるのは、アルドだよ」
 
にや
 
「ぼ、僕ですか?」
「うん。廊下で見当たらなかったから、多分テッドの部屋にいるかなーって」
「……」
「それじゃ、用事って…?」
 
がさがさ
 
「はい、これ」
「……なんですか、これ?」
「もちろん、新しい台本だよ」
 
………・
 
「───僕 今週も演劇組なんですか!?」
「いやー、どうも先日のナルキッソス役がかなり評判良かったみたいでね。交易商とかから口コミで他の島にも伝わってるらしくて、公演依頼殺到中なんだ。ほらこんなに」
 
んどさ
 
「……・うわー……」
「というわけで今から会議だよ、さあ行こう」
「えっ、今からですか!? ってうわっ」
 
ずるずる
がちゃ
 
「あ、そうだテッド」
「………なんだよ」
「実はね」
「ああ」
「実はね」
「……実は?」
「実はね」
「勿体つけてないで早く言えよ!」
「あっはっは、……実は、同じ理由で君にも出演依頼が来てるんだよね」
「…何?」
「んーまあ要するに───」
 
ぺら
 
「えーと、『エコーちゃんがすっごく可愛かったです! 演技も上手くて、思わず一緒に泣いちゃいました。またエコーちゃんの舞台を見たいです!』…それから、『エコー役さん再演希望! あんな素晴らしい役者はそういません』…それに、『エコー役の人、声がとても美しいと思いました』…あとは」
「まだあんのかよ…」
 
はー…
 
「何溜め息ついてんのさ、大人気じゃないかエコーちゃん」
「エコーちゃん言うな!」
「て、テッドくん、あんまり気にしないで大丈夫だと思うよ?」
「そうだよ、僕がいるんだからエコーちゃん」
「だからエコーちゃんはやめろ!」
「まったく仕方ないなテッドちゃんは。……・あら混ざった」
「ふざけんなお前ー!!」
 
「───で、どうする? もみ消しとく?」
「もみ消……出来んのかよ」
「そりゃまあ、僕だからね」
「………」
「でも」
「なんだよ」
「───この船に留まるからには、やっぱただ飯喰らいはねー」
「……!!」
 
ぎく
 
「出てっちゃうなら仕方ないけど、一緒に暮らす以上は働くべきかなーとか僕は思うんだよねー。まあ無理強いはしないけどー」
「おまっ何か知って───!?」
「えーなんのことかなー?」
 
にや
 
「……っ!!」
「さ、行こうかアルド」
「えっ、ちょっ、小間さん!?」
 
おろおろ
 
がちゃ
ばた───
 
「っ待て!」
「ん、なんだい ただ飯?」
「何だその呼び方! ………っ分かった、…やるよ」
「ええー、無理しなくていいのにー(棒読み)」
「…お前実は俺にやらせたくないのか?」
「いやいや、まさか。さて、とりあえず君をおちょくるのはここまでにしておくけど」
「………」
 
ぴき
 
「やだなぁそんな怖い目付きしちゃって。───冗談は置いといて、……本当に良いのかい?」
「…この出演依頼を見た限り、俺が男だって気づいてる奴はいないみたいだからな。───戦いが終わるまでこの船で暮らすのに、ただ飯なんて呼ばれるのはごめんだし」
「……そっか」
 
にこ
 
「テッドくん……」
 
ぱああっ
 
「……」
 
てれ
 
「うんうん、分かったよ。───それじゃ」
 
わっし
 
「!?」
「さあて、一緒に行こうか。これから会議だよ」
「っおい、来週俺も出るのか?」
「んー、やっぱりテッドはいてくれると思ってたからね。…ああ、心配しなくても大丈夫。ちゃんと女の子の役だから」
「はぁ!?」
「さあ、じゃあそういうことで僕らの豊かな未来に向かってGO!」
「なんだか聞いたことある科白ですね…」
「おい! 小間!」
「はいはい後は作戦室でねー」
 
ずるずる
ばたん
 
………
 
 


ロウハクの扱いについて弁明を。秋野は決して彼が嫌いとかではありません!
いやほんと、成り行きであんなんなってしまって…ロウハクファンの方々から苦情が来そうです(汗)
悪気はないですのでお許しを。
ヘルの人魚姫とか言ってましたがケネス王子のラプンツェルとかも書きたくなってきたぞー(これ以上悪ノリの産物を増やすな)